猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

 書きたい事はたくさんあるのに、何も書けない時がある。

 愚かでない人はそれをわざわざ「書けない」などとは言わない。雀さんや秋田さんのような人はそうだろう。ただじっとしているだけである。
 けれども私は「書けない」と言ってしまう。書きたいことは山ほどあって、書いてもあとから見ればゴミの山だったりもする。そして、本当に書きたい事は「書けない」と。実に本当に書きたいことは、今は差し障りがあって書けないこともあるのだ。

 血のつながらない死んだ伯母が、
「私、物書きって基本的に嫌いなの」
と昔、言っていたことを今にして思うことしばしばだ。
 聡明な人ははなからものなど書かないのだ。
 伯母はこんなことを言うだけあって頭が切れる気の強い人で、私は苦手だったが、娘が31の若さで死んだ時(伯母の夫すなわち私の母の兄である伯父は42の若さで死んでいる。その時、伯母は39歳。小四と中一の子がいた)、娘の友達が追悼集を出す事になった際、
「お母様も一筆是非」と寄せた文が、舌を巻くほど見事だった。
 ものを書くには色んなものへの目配りが必要な反面、ある一点に思い入れすることも大事で、それゆえにこそ自分にとって大切ではないその他のものや人の感情には無頓着になりがちだが、伯母もまたその他の人には無頓着でないとやっていけないような人生に見えた。親戚の中では最も物書きに向いていたかもしれない。が、あの文は死んだ娘を思って書いたからこそ、あれほどのものだったのだとも思う。

 同じく若くして未亡人になったといってもその点祖母は違った。祖母の文は読んだことはないが、たぶん小学生の作文以下だったのではないか。そして私から見ると、明らかにこの伯母より祖母が聡明に見える。見えるけれど、一方の伯母もまた一生懸命だったんだと目頭が熱くなる。
 43の時、夫を46で亡くした祖母は薬剤師だったから、その仕事やその他の仕事に懸命に励み、四人の子を育て上げた。その長男こそは、先の伯母の夫となる人だった。彼が42で死んだ時も、むしろ嫁や孫たちの心配をして、お金の工面や家事を手伝いに関西まで行ったりしていた。