猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

10071124英語のうまいカツヤ

maonima2007-11-24

小西克哉に会うんだ。英語のうまい人」と夫に言ったら、
小西克哉なら、十年くらい前、●●の●●でよく見たよ。って言っといて。もう六十過ぎてるんじゃない?」と言うので、そんな年だったかなぁと思いつつ、「うん」と答えて、本人に会ったら、六十過ぎという感じではない。しかもなにか私が思い描いていた人と違う。
 夫に言われた通りにいうと、「そこは行ったことないなぁ」とおっしゃる。
 それで「もしや」と思って、帰宅後、夫に、
「もしかして、英語がうまいカツヤってことで小林克也と間違えてない? 小西克哉は同時通訳のキャスター。小林克也はタレントでDJでしょ」
と言うと、案の定、そうだった。
 同時通訳っていえば夫も間違えなかったのだろう。でも、私も実は小西克哉と聞いた時、小林克也の顔が頭に浮かんでいたのである。逆に小林克也と聞いて小西克哉を思う人も少なくあるまい。二人を混同している人は多いかも知れない。


「天のいと高き所にホザンナ」
という言葉が最近、頭から離れない。意味も分からず繰り返し言わされたこの言葉が。
って今もよく分からないんだけど、聖書大辞典も実家だし、ネットで調べたらすぐ出て来た。へーそうだったのか。習ったのかもしれないけど、忘れてたよ。
http://www.ne.jp/asahi/church/yurigaoka/yuriko/frmemo7-1.html



実はこの日記では人の悪口とか、非難がましいこと、すでに沈静化した一件を蒸し返すことは決してすまいと決めている。自分の心を乱したくないからだ。しばらくはこの日記は仕事関係のことだけにしたいと思って、ここのところずっとそうだ。あとは本当に無難な思い出話。
しかしブログって、どうしてこう人の悪口やあてつけ、あてこすりが多いのか。ためになるブログ、癒されるブログもたくさんあるが、個人の日記的なものはそうでないのがほとんどだ。ブログもネットなので、2chみたいなのとさして変わらないのだろうか。
名前を出さずにあてこするということに関しては以前もここに書いて消したが、その人の名を出すと怖いというよりは、出すのも汚らわしい、出してやるのもヤだねという心理も働いているのだろう。また、突っ込まれた時、「あんたのことじゃないもんね」と言い張れるというのもあろう。
いずれにしても、こうしたやり方は最も卑劣なもので、田中貴子が私に『歯医者が怖い。』で「学者T」と書かれて怒ったのは、私にはそのつもりはなかったのだが、そこに「あてこすり」に近い卑怯の匂いを感じたからかもしれない。むしろ名指しで書いたほうが良かったのだろう。もっとも名指しで書いても、怒ってはいただろうが。「卑怯」とかは思わなかったろう。
彼女は私に関して事実無根というか、問題の核心をずらすために、おかしなことを書いているが、名指しなだけまだましかもしれない。と、最近、思う。これに関してはいったん長々、実際のいきさつと反論を書いたのだが、今は上記のように自分の心を煩わしたくないので削除したのだった。時が来たらupしたい。また、私のいう「あてこすり」好きな人間についても具体的な例を挙げることができればいいと思う。