5/13付け「読売新聞」夕刊の読書欄で、
『万葉集』の生活感とか、お勧めの入門書三冊語ってます。
取り上げたのはこの三冊です↓
5/13付け「読売新聞」夕刊の読書欄で、
『万葉集』の生活感とか、お勧めの入門書三冊語ってます。
取り上げたのはこの三冊です↓
最近、本当にいらつくのは、
「私たち国民はこういう国に生まれて幸せですね」
「国民はなんと優雅な●●を持っているのだろう」
と、個人が国民代表みたいに感情を表現することだ。
幸せは個人で感じるものだ。
お前が勝手に幸せやってろ、と感じる。
よく「感謝しなきゃいけませんねぇ」「ありがたいですねぇ」と言ってくる人がいるが、いつも余計なお世話だと感じる。
感謝とは、人から「ねばならない」と押しつけられるものではなく、しぜんと湧いてくるものである。
薄々感じていたが、きょう確信した(今更だが!)
いろいろ整理していて、昔つきあっていた男がコピーしてくれた『弥勒信仰』の書類、『鞍馬寺』の書類、それをつくづく見つめていたら、「ああ、ありがたい、私のために」と、もう三十年以上経って、しみじみ感謝の念が湧いてきたのである。
心の奥底からの気持ちだった。
感謝の念は、リアルタイムで湧いてこないとしても、時がくれば湧いてくることもある。
ありがたさもそうだ。
それをぐいぐい、第三者に言われる筋合いはない。
湧いてくる時は湧いてくる。
本当に心の底からの、ありがたいという思いは。
「ハルメク」五月号掲載の「スキャンダルで読む百人一首」29は凡河内躬恒。『無名抄』には貫之と躬恒の優劣論が載っているのですが、その結末は……。⇒https://magazine.halmek.co.jp/special/feature-201905/ …