猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

シバが来た日

シバが年取って、筋力が弱り、頻尿になってるから散歩も一日三、四回(一回は短い)になってて、長い外出も無理になってる。

娘がいればそこらへんもフォローしてくれただろうが……

犬を飼いたい! どうしても飼いたいの!! お散歩もするから!!! と言ってた娘、今はエストニアに住んでいるから、ほとんど全部の散歩は私なんだな。シバも歩かなくなってしまったから、散歩といえるほどの散歩でもないが。
<<エストニアにいる娘のブログ⇒

estonian-mania.tokyo

 

 

私は小学生のころ、隣の白い大きな犬が庭に入り込んで、追いかけられた苦い思い出(その時、母は容子ちゃんのママとお喋りして、私の姿を見て笑ってた。しばらくして犬を隣家に追いやってくれた)や、家の土手に捨てられていた子犬に追いかけられたつらい思い出(その時は遠くまで行ってしまって、通りすがりのお兄さんに助けを求めたら、お兄さんは「こんな小さい犬」と笑って犬を追い払ってくれたが、あの犬どうしたことか)があるから犬などはなから飼う気はなかった。

なので娘とパパだけで「ペットのコジマ」(今はなくなった)に行ったのだが、

しばらくして電話がかかってきて、

「どうしても飼いたいの。ママも見に来て」

ということになり、その日のうちに見に行ったらもう三ヶ月にもなって大きくなって売れ残ってたシバがいた。店員に、

「奥さんも抱っこしてみてください」

と言われ、恐る恐る抱っこしたら、シバはふるふる震えてて、そっと私の首を嘗めてきた。

それで参ってしまって、

「この柴犬にします。でももう三ヶ月でこんなに大きくなってるし、値引きしてください」

と言ってワクチン代込みで11万円で購入。

帰宅すると、猫のポロ(当時四、五歳)がいなくなってて、

「可愛いから盗まれたのか!」

と、今思うと、財布もカードも盗まれてないのに、猫だけ盗むバカがいるかってなもんだけど、本気で思って狭い家を探したら、シバにおびえてカーテンの後ろに隠れていたっけ。


I macのコードをシバにかじられてつかえなくなったり、大事にしていた民話の本たちもシバにかじられ、ぼろぼろになった。家の壁は猫にやられて。動物たちにぼろぼろにされた家。でも、綺麗なだけの家だったらつまらなかっただろう。

 <<シバが来た日についてはこの日記⇒

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<<来た頃は猫とどっこいどっこいの小ささだったんだね。1/26生まれで、4/17に売れたシバ。あともう少ししてたら、可哀想なことになる……という思いもあったんだよね、犬苦手な私が決意したのは⇒

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うんちでるでる

原稿の合間、いつものようにネットを見てたら、

「うんちでるでる」

という楽天商品の広告が!

なぜ?  なぜ私に!?  と思いつつ、クリックすると、幼児のためのトイレの踏み台でした。

 

実は147 センチという低身長の私もトイレでは踏み台使っているんですよ。

そのほうが力が入りますからw

低い風呂椅子を踏み台にしてます。

この「うんちでるでる」の踏み台なら、もっとスタイリッシュなトイレになるのかな? とも思いますが……。

 

日頃から、うんこだの何だのと検索してるから、こんなのが出てくるんでしょうか。

それとも私の身長まで把握されてるとしたら……なんか怖い。

item.rakuten.co.jp

興膳教授

きのうのNHKの番組で、興膳先生という方が出てらして、元号はなくしたほうがいいと。

というのも、元号というのはもともと皇帝が空間だけでなく時間を支配している象徴として制定されたもので(て、凄い発想!)、日本でも天皇統治と関わっている、現憲法と矛盾する的なことをおっしゃっていて、興味深かった。

 

 

国書から、という政府の希望に対しては、『古事記』『日本書紀』は漢籍からの影響受けまくりだし、『万葉集』は当て字で、漢字に意味がないから無理なんじゃね? という意見が出ていたにもかかわらず、それでも……と粘ったあげく、『万葉集』の第五巻の32首の歌群の序が漢文で書かれていることに注目して、採用となった、ということもはっきり分かった。

かなり無理矢理じゃね?

 

そうよね。前の日記でも書いたけど、日本語の本来として音が大事なんだから。

スサノヲがすがすがしいから須賀、とかばっかり。

日本語がだじゃれ文化になるのも、こういうところからきている、と、私は書いてきた。絶版になってしまいましたが……。↓

 

古事記 いのちと勇気の湧く神話 (中公新書ラクレ)

古事記 いのちと勇気の湧く神話 (中公新書ラクレ)

 

 

 

興膳先生の本。これから読んでみるつもり。↓

 

中国名文選 (岩波新書)

中国名文選 (岩波新書)

 

 

 

漢語日暦 (岩波新書)

漢語日暦 (岩波新書)

 

 

 

仏教漢語50話 (岩波新書)

仏教漢語50話 (岩波新書)

 

 

 それから、斯波義信っていう戦国武将みたいな名の人も出てきてた。

 

 昨日の新聞(朝日新聞2019.4/2朝刊)今回の元号制定に関しては、中国地方の戦国大名の一族の末裔が関わっていたともいい、てことは毛利の関係者? てことは関ヶ原では西軍!(石田三成方)。

候補の一つとして出ていた「豊楽」(豊臣が鐘の銘につけた「君臣豊楽〜」ってやつ)はもしやこの方が……など、妄想が広がりました。

 

 しかし、こんなに極秘にする必要あるのかね〜〜。

 それこそ、時を国が支配するみたいで、問題じゃね?

 

 

興膳先生、名前も素敵だし、私が編集者ならすぐに原稿を依頼しに行くな〜。

れーわ

しつこく今日も元号つっこみをw

 

令和の令の意味がよくないって声が上がってるけど、日本語の本来からすると、文字の意味より音が大事なんですよ。

だけど私はその音こそよくないって感じます。

冷、霊、礼……うーん……

ひょっとして、ほんとは「礼和」にしたかったのかな誰かさんは……なんて勘ぐってみたり。

新元号“令和”

 新元号、決まりましたね。

“令和”。

万葉集』巻第五、大伴旅人の家での宴会で詠まれた梅を賞でる歌群の序なんですね。

“初春令月、気淑風和”

という。

令和ってことばがあるわけではなく、ここからピックアップしたんですね。

令と和なら、ほかにもありそうだけど。それこそ漢籍にも……。

風和もいいなぁと感じますが、風に飛ばされそうだものね。

ただ、元号っていうのはもともと中国のまねですから、毎回、漢籍を典拠にしてきたわけです。

それを今回、はじめて日本風にしたみたいだけど、梅花を賞でるっていうのは中国的なんですよね。

元号に使ってる漢字がそもそも中国由来なわけだし……。

万葉集』の歌だって中国の影響受けまくりなんですけどね。

日本的を追求するなら、元号もひらがなとかカタカナにすればいいんですよ。

 

 

とも思うけど、やっぱ漢字がビシッとくるのは、ずっと漢文で書かれたものが正式だったからかな。

まぁ日本の古典文学を典拠にするっていうのは、古典エッセイストとしてはちょっぴり嬉しいです。

 

なにはともあれ、もったいぶってたおかげでお祭り騒ぎになって、良かった良かった。

(安の字がなくて良かったと言う人もいるけど、私は安の字あってもいいと思ってた。むしろアベさんとかぶるからって外すってのもどうなの? あと、伝統伝統いうアベさんだけど、今まで千三百年以上漢籍からとってた元号を、日本古典から取ることにするって、伝統を破壊していることにはなりはしまいか、とか。なんで急にそうしたのか説明もないし、平成の時と違って、いろいろ引っかかる今回ではある)

 

本当はエロかった昔の日本 (新潮文庫)

本当はエロかった昔の日本 (新潮文庫)

 

 「『万葉集』の「人妻」の謎」所収↑

 

女系図でみる驚きの日本史 (新潮新書)

女系図でみる驚きの日本史 (新潮新書)

 

 

女系図でみる日本争乱史9

いま出てる「波」に」「女系図でみる日本争乱史」9のってます。

今回は、今はやりの、とも言える応仁の乱

乱勃発当時は相続形態の大転換期だったというような視点で書きました。

相続でもめてる人もそうでない人も、ぜひ読んでみてください。

まぁ日本の戦争のほとんどは内乱で、相続争いなんですが、応仁の乱があんなに拡大化・長期化したのも、相続の大転換期だったことが大きく影響しているかと。

 

www.shinchosha.co.jp

はてなダイアリー時代の日記「再び歯医者が怖い。」5 2013 2/22  &  そして今2019 3/25

2013-02-22 (再び、5)こういう時は、幼児番組
 さてところで、

 心因性の歯痛にしても腰痛にしても胃痛にしても、

 痛みが癖になってしまっている、神経回路が覚えているのを断ち切るには、手っ取り早いのは薬でしょう。

 14年前の私にはSSRIが処方されました。それと補助的に抗不安薬

 SSRIは効くまでに三週間くらい、副作用がありましたが、効き始めると体の違和感や緊張・痛み等が取れ、前向きになるわ、自分の人生の中でかつてないほど元気になったのを覚えてます。

 しかし今回は、SSRIはなく、抗不安薬だけ。

 他人から見た症状が以前よりは軽いのと、症状が出てからすぐ小野先生とこに行ったため、先生の判断でそういう処方になったのでしょう。

 私としてはちょっと物足りないし、厄介なのは、体に出る痛みや違和感のきつさです。

 けれどもそれを気にしていると、ますます悪化するという仕組みなので、しんどいながらも、アクティブに仕事や家事をこなすことが回復のカギになってきます。

 その時、効くのは、不安症仲間オススメの動物番組とか、犬猫とふれあうのもさることながら、今回、いいと痛感したのは、BSのDライフなんかで朝やっている、

英語の幼児番組

 これはいいです。

 そもそも幼児番組は、精神科に行くほどではない、しかし精神的に落ち込んでいる、頭では分かっているのに体が起動しない、というような時、そのバカバカしさと素朴な面白さに心癒されるものなのですが、これを英語でやられると、字幕を見ながら、ことばを聞き取ろうと集中する。そこがまたいいんです。

 落ち込みがひどすぎる時は、テレビなど見るどころじゃないとは思うんですが、あるていど動き回れる時、でもやる気が湧かないという朝のウオーミングアップには最適。

 

 

 バカバカしさと、集中力を要するところがいいんですよね。

 ちょっぴり英語の勉強にもなりますし。

 

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以上、五回にわたって六年前の日記を公開しました。

こうしてみると、私もたいへんでしたね〜〜。

今はこのころよりずっといいです。

二十年前の発症時と比べれば雲泥の差。

 

で、一つ言えることは、かみ合わせの違和感や口腔内の違和感も非定型歯痛も、一進一退ありながらも、必ずましになるということ。

ましになるために大事なのは、「気づき」と「とらわれをなくすこと」です。

「気づき」というのは、この歯の違和感や痛みは、脳の誤作動によってもたらされているものだと気づくこと。

痛くなったとしても少なくとも一週間は様子を見ること(もちろん、ズキズキの激痛が続けば歯医者いかないとダメですが、それも町医者よりは医科歯科などの大学病院がいいです。歯科心身症かな? と思ったら、大学病院です)。

 

「とらわれをなくすこと」はとても大事で、歯のこと以外を考えよう、集中しようと思うんではなく、

歯のことが気になっていても、それでも目の前のなすべきこと……家事や仕事……をするということが大切なのです。

気になることをなくそう、消そうと思っても無理だし、そう思ってるうちはまだまだなのです。

ここまでくるのに時間はかかりましたが、とにかく間違いなく言えることは、一進一退ありながらも必ずましになる(良くなる)ということ。それには、症状があったとしても、日常生活を送るということ、これに尽きます。

 

 いまこの症状で悩んでる人は、なので、死のうとか思ってるかもですが、そういうことはやめたほうがいいし、そこまでの勇気もないのであれば、とりあえず大学病院とかいって、その先生が信頼できそうな感じなら、出された薬をしばらくのむほうがいいです。

最初はねむい、だるい、便秘、その他もろもろの副作用がきついでしょうが、死にたいと思うくらいならのめるかと。

この症状で一生薬をのむということはまずないので、数年〜十年位のむ覚悟で、そのうちのむのを忘れたら、それに任せて減薬、という感じではないでしょうか。

 

 

 

はてなダイアリー時代の日記「再び、歯医者が怖い。」4  2013 2/21


2013-02-21 再び、歯医者が怖い。4「納得」とは
 「納得」とは、私の理解では、自分にまつわる出来事を、自分で消化して、これで良しと肯定することだと思っていたのですが、

日本国語大辞典』で引くと、

「他人の考え、行動などを理解して受け入れること。わかってのみこむこと。理解して肯定すること。承知。同意」

とあって、あくまで他人本位のことばのようなのです。


 が、同辞典でも挙げられている江戸時代の『浮世風呂』二編巻之下の例を見ると、風呂屋での子供同士の喧嘩に、それぞれの母親と祖母が顔を出し、喧嘩しあって退場したあと、それを聞いていたオバサンがこんな会話をかわす中で「納得」の語は出て来ます。ちょっと訳してみましょう(“”で囲んで有るのが原文)。

「怖いおかみさんだねぇ。ほんとにほんとにおっかない」

「そうだねぇ。そもそも子供の喧嘩を取り上げるのが悪うございます。全部、自分の子をひいきしていては収拾がつきません」

「そうさ、うちでも子が泣いて来ると叱ります。子の告げ口をいちいち真に受けていたら際限がありません。理も非も構わず我が子を叱るのが一番ようございますよ。もしよそのお子さんが告げ口しにおいでになったら、我が子を懲りるほど叱ることさ」

「『憎い奴でございます、堪忍してやってね、今にうちの子が帰ってきたら、ひどい目にあわせてやりましょう』などと申せば、その告げ口に来た子も“納得”いたします。いえね、その中でも、よく告げ口をする子がおりますよ」

「あれも癖だね。どれもこれもイタズラですから、皆、いいことはございません。中でも男の子はイタズラばかりでございますが、女の子は意地の悪いものですって」

「そうとも言えません。女の子はたいていおとなしうございますけれど、男の子は悪ふざけが過ぎます。何でも厳しいに越したことはありません。オホホホホホホ」

「ほんに今の喧嘩で言ってたように、子供のいる前ではめったなことは申せませんよ。オホホホ」

「いえもう、よそのお子さんに怪我でもさせてはすみませんから、負けて帰るほうがいいのさ」

「そうさ、弱虫が世話がなくてようございます」

 

 ちょっと長くなってしまいましたが、こんな感じの文脈で出てきます。

 これだと、やっぱり、他人の考え・行動を受け入れるという辞書の意味よりは、自分自身に起きたことに関して、まぁ良しと肯定するということではないかな? という気もするのですが……。

 

 まぁ要するに、辞書の説明はちょっと「納得」しにくいという……。

 ん? この文脈だと、人の考え・行動を受け入れるという辞書の説明通りの用法になりますね? 

 そう考えて、もう一度、まとめると、

「納得」とは、自分に働きかける人の言動がまずあって、それを自分が受け入れること。

と、なりましょう。

 正しいとか正しくないとかではなく、

「それなら許せる」

という気持ちに近いと思うのです。


 

 ここに至る道のりが問題で、『浮世風呂』に出てくる子のように、他人の家に「お宅の●●ちゃんにいじめられた」などと告げ口に行けるような積極性のある子ならいいのです。

 治療前も、歯医者なり誰なりがいくら忙しそうでも、どんどん質問して、

「なるほど~だから歯を削るのか、なら仕方ないね」

と思えるでしょう。勝手に削られはじめたら仕方ないけれど、イヤならさっさと転院して、残りをやっておしまい! と、できるでしょう。

 が、歯科心身症の患者はそれができない。

 こういう患者はよくドクターショッピングすると思われがちですが、実はもともとはそうでもないのです。

 ちらりと疑問が浮かんでも、それをとっさにことばにできなかったり、不安を感じても治療途中で転院しては……と義理立てし通院を重ねてしまう。

 無断キャンセルとかもできないタイプです。

 それでドツボにはまったあと、不安で、あちこち医者へ行くという仕組みだと思うのです。

 

はてなダイアリー時代の日記「再び、歯医者が怖い。」3  2013 2/20

2013-02-20 再び、歯医者が怖い。3それは更年期と共に
今回、こうなったきっかけを考えるに、まず、

「目の痛み」

というのがあった。

歯痛はその関連痛だったわけだが、

私も今年、五十二歳になったわけである。

更年期の症状なのでは?

とも思ってみた。

しかし、このところあれこれ検索したところによると、

歯科心身症は七十代女性が一番多く、次いで六十代、五十代となっており、更年期より、むしろ義歯や欠歯の増える老年期に多いらしい。


そもそも私の最初の発症も14年前で、更年期と呼ぶにはまだ若いし、

振り返ると、本でも書いたが、大きなストレスがあったのだった。

 

今回は目が痛いというだけで、思い当たるほどのストレスはない。

と思いつつ、しかしよく考えれば、ないことはない。

一つちょっとしたことが今年に入ってからあるのと、もう一つ、二年前から、ずっと気にかかっていることがあり、その時も歯が痛くなったものの、歯周炎ということで終わったのだった。

ストレスで免疫力が低下していたのだ。

今回も、目医者には「免疫力が弱っているから、ものもらいがなかなか治らないのだ」と言われた。

去年の夏、小学校時代の親友を亡くしたことによる喪失感も大きいかも知れない。

 

だから更年期ゆえというよりは、やはり引き金はストレスなのだろうけれど、

四十五過ぎから、私は夕方から夜にかけてのじんましんに悩まされていて、これは明らかに女性ホルモンが低下しているためであろうと思う。

また、生理も不規則になり、この二月、四ヶ月ぶりに生理になるなど、

閉経前のホルモンの乱れを思わせる症状はいろいろある。

ホットフラッシュ的な症状も今年に入ってからあった。

だけど、イライラとか、だるいとかはまったくなかったのである。

今回の歯の症状に伴うイライラ&だるさは、更年期とは別物だろうとは思うけれど、結果的に、更年期と共にやってきたような形にはなった。


繰り返しになるが、今回は、歯科治療に関して、

「納得できなかった」

というのが大きかったと思う。

五、六年ほど前、納得済みの治療の時は、歯医者で普通に三本治療しても(しかも、うち一本は虫歯ではなく歯周炎だった)今回のようなことはなかったからである。

 

次は「納得」ということについて考えてみたい。

(2/19付記 このpdf資料見ると、四、五十代女性が多いようですが、更年期とは関係ないみたいですね。→http://atoyofpsd.net/info/news/20120626a.pdf)

はてなだいアリー時代の日記「再び、歯医者が怖い。」2    2013 2/19

2013-02-19 再び、歯医者が怖い。2心に響いたことば
今回、またぞろ14年前のようになりかけ、

とはいえ、14年前と違い、この、常に警戒態勢にある小動物のような緊張感と不安感の原因が噛み合わせとかではなく、歯科でのちょっとした行き違いや不信感による心の葛藤にあると分かっているだけラクなのは確かである。

 

体の不調は不調として、だるくても痛くても、日々のしごとをこなす。

そうすると、いつのまにか、そちらへ心が傾き、ちゃんと出来ているのである。

 

こうした私の症状をずっと知っている家族や友人のちょっとしたことばが励ましになっているのも大きい。

同じ不安症仲間ともいえる人に、動物番組がいいと言われ、「ダーウィンがきた」などの動物番組を見ると、確かにいい。

手近に犬猫がいるので、億劫でも散歩するようにすると、イヤでも外出着になるから、その勢いで多くの用事も出来る。

 

先日、「歯科心身症」という語を検索していたら、こんな記事を見つけた。

http://www2.city.hirakata.osaka.jp/freepage/gyousei/byouin/visual/feature/oral_sinsin.php

ここの10の次の箇所である。

>症状を含め諸々の事象の完全癖的な解決への「とらわれ」から脱皮して,各々事象の部分的な寛解に足ることを知り,

>「与えられる人生」から「与える人生」への人生観の転換がなされ,


思えば今まで受け身の人生だった。

父は発達障害的なところがあり、言外のことばを読めぬ人だったから、子供心にいつもまさかと思うようなことの連続だった。

母は完璧主義的な頭のいい人で、その友人からも、子育てが過保護ではないかと言われるくらいだったが、わたし的には支配されているようにも感じていた。

「自分の意志は通用せず、いつも他人に動かされている」

という思いが、昔からずっと強かった。

その反面、強いこだわりがあるため、自分の意志が通らなかったり納得のいかないことがあると、大きなストレスを感じ、時に爆発することもあった。

 

歯科心身症の人は、前提として、慎重な歯医者選びが大事なことに変わりはないが、

「与えられる人生」は脱却しないと、歯医者に思わぬ箇所を「削られた」という受け身の悲劇はなくなるまい。

そして過ぎてしまったことは仕方ない。

痛くても、それは神経が生き残っている証拠と考え、我慢して、

「子供のため」

「ペットのため」

という言い訳でもいい、

とにかく、何か一番身近なもののために頑張ってみる。

それが大事なのかもしれない。