猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

はてなダイアリー時代の日記「再び、歯医者が怖い。」4  2013 2/21


2013-02-21 再び、歯医者が怖い。4「納得」とは
 「納得」とは、私の理解では、自分にまつわる出来事を、自分で消化して、これで良しと肯定することだと思っていたのですが、

日本国語大辞典』で引くと、

「他人の考え、行動などを理解して受け入れること。わかってのみこむこと。理解して肯定すること。承知。同意」

とあって、あくまで他人本位のことばのようなのです。


 が、同辞典でも挙げられている江戸時代の『浮世風呂』二編巻之下の例を見ると、風呂屋での子供同士の喧嘩に、それぞれの母親と祖母が顔を出し、喧嘩しあって退場したあと、それを聞いていたオバサンがこんな会話をかわす中で「納得」の語は出て来ます。ちょっと訳してみましょう(“”で囲んで有るのが原文)。

「怖いおかみさんだねぇ。ほんとにほんとにおっかない」

「そうだねぇ。そもそも子供の喧嘩を取り上げるのが悪うございます。全部、自分の子をひいきしていては収拾がつきません」

「そうさ、うちでも子が泣いて来ると叱ります。子の告げ口をいちいち真に受けていたら際限がありません。理も非も構わず我が子を叱るのが一番ようございますよ。もしよそのお子さんが告げ口しにおいでになったら、我が子を懲りるほど叱ることさ」

「『憎い奴でございます、堪忍してやってね、今にうちの子が帰ってきたら、ひどい目にあわせてやりましょう』などと申せば、その告げ口に来た子も“納得”いたします。いえね、その中でも、よく告げ口をする子がおりますよ」

「あれも癖だね。どれもこれもイタズラですから、皆、いいことはございません。中でも男の子はイタズラばかりでございますが、女の子は意地の悪いものですって」

「そうとも言えません。女の子はたいていおとなしうございますけれど、男の子は悪ふざけが過ぎます。何でも厳しいに越したことはありません。オホホホホホホ」

「ほんに今の喧嘩で言ってたように、子供のいる前ではめったなことは申せませんよ。オホホホ」

「いえもう、よそのお子さんに怪我でもさせてはすみませんから、負けて帰るほうがいいのさ」

「そうさ、弱虫が世話がなくてようございます」

 

 ちょっと長くなってしまいましたが、こんな感じの文脈で出てきます。

 これだと、やっぱり、他人の考え・行動を受け入れるという辞書の意味よりは、自分自身に起きたことに関して、まぁ良しと肯定するということではないかな? という気もするのですが……。

 

 まぁ要するに、辞書の説明はちょっと「納得」しにくいという……。

 ん? この文脈だと、人の考え・行動を受け入れるという辞書の説明通りの用法になりますね? 

 そう考えて、もう一度、まとめると、

「納得」とは、自分に働きかける人の言動がまずあって、それを自分が受け入れること。

と、なりましょう。

 正しいとか正しくないとかではなく、

「それなら許せる」

という気持ちに近いと思うのです。


 

 ここに至る道のりが問題で、『浮世風呂』に出てくる子のように、他人の家に「お宅の●●ちゃんにいじめられた」などと告げ口に行けるような積極性のある子ならいいのです。

 治療前も、歯医者なり誰なりがいくら忙しそうでも、どんどん質問して、

「なるほど~だから歯を削るのか、なら仕方ないね」

と思えるでしょう。勝手に削られはじめたら仕方ないけれど、イヤならさっさと転院して、残りをやっておしまい! と、できるでしょう。

 が、歯科心身症の患者はそれができない。

 こういう患者はよくドクターショッピングすると思われがちですが、実はもともとはそうでもないのです。

 ちらりと疑問が浮かんでも、それをとっさにことばにできなかったり、不安を感じても治療途中で転院しては……と義理立てし通院を重ねてしまう。

 無断キャンセルとかもできないタイプです。

 それでドツボにはまったあと、不安で、あちこち医者へ行くという仕組みだと思うのです。