このところつくづく思うのは、この世は一切皆苦なのだなと。
そういう前提で生きていたほうがいいのではないかと。
でも、こんなことは子ども時代には誰も教えてくれなかった。
子ども時代といえば、私は親にいつも「反抗的」「ああいえばこういう」「口答えばかり」と言われていて、また親の会話に口を挟むというので「どびん」とか「茶瓶」とかも茶化されていた。
態度が悪い、口答えするなと父に殴られたこともあった。
母もそれを止めるどころか、助長していたふしもある。
それでずいぶん自己肯定感の低い子に育ってしまったと思う。
母は落ちぶれ感の強い人で、
「父親さえ生きていれば」という思いが常に心の中にあり、
男の子に期待するところが大きく、男尊女卑も激しかった。
アメリカ育ちの母親でもそうなのだ。
いや、アメリカは案外マッチョ社会だから、不思議はないのかもしれない。
「女の子なんだから!」
「だよじゃない! よ、と言いなさい」
ともよく言われた。
ジェンダーレスの正反対である。
こうした親の、残したツケはあらゆる意味で大きいと実感する。