きのうのNHKの番組で、興膳先生という方が出てらして、元号はなくしたほうがいいと。
というのも、元号というのはもともと皇帝が空間だけでなく時間を支配している象徴として制定されたもので(て、凄い発想!)、日本でも天皇統治と関わっている、現憲法と矛盾する的なことをおっしゃっていて、興味深かった。
国書から、という政府の希望に対しては、『古事記』『日本書紀』は漢籍からの影響受けまくりだし、『万葉集』は当て字で、漢字に意味がないから無理なんじゃね? という意見が出ていたにもかかわらず、それでも……と粘ったあげく、『万葉集』の第五巻の32首の歌群の序が漢文で書かれていることに注目して、採用となった、ということもはっきり分かった。
かなり無理矢理じゃね?
そうよね。前の日記でも書いたけど、日本語の本来として音が大事なんだから。
スサノヲがすがすがしいから須賀、とかばっかり。
日本語がだじゃれ文化になるのも、こういうところからきている、と、私は書いてきた。絶版になってしまいましたが……。↓
興膳先生の本。これから読んでみるつもり。↓
それから、斯波義信っていう戦国武将みたいな名の人も出てきてた。
昨日の新聞(朝日新聞2019.4/2朝刊)今回の元号制定に関しては、中国地方の戦国大名の一族の末裔が関わっていたともいい、てことは毛利の関係者? てことは関ヶ原では西軍!(石田三成方)。
候補の一つとして出ていた「豊楽」(豊臣が鐘の銘につけた「君臣豊楽〜」ってやつ)はもしやこの方が……など、妄想が広がりました。
しかし、こんなに極秘にする必要あるのかね〜〜。
それこそ、時を国が支配するみたいで、問題じゃね?
興膳先生、名前も素敵だし、私が編集者ならすぐに原稿を依頼しに行くな〜。