「光る君へ」三回目に赤染衛門が登場していました。彼女は『紫式部日記』にその名が出てくることで有名で、夫の名を取り“匡衡衛門”と、宮(彰子)や殿(道長)などの周辺では呼ばれていたとあります。八十代で歌合に出詠するなど元気で長生き。このあたりのこと…
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