家族というのは揃っている時は空気のようなものだが、ひとり欠けるとガタガタッとくるもので、昔、父の会社の同僚の奥さんがご主人と子供ふたりをのこして若くして亡くなったと思ったら、その家は火事にあって全焼。子供さんもひとり亡くなってしまったということがあった。
そういうのとはまるでレベルが違うが、それまで分担してやっていたものが、ほんの一時的にせよ諸事ひとりで色々やらなきゃいけない折っていうのは、どうしても目が隅々まで行き届かぬためだろう。そういう時に限って何かある。
先週、子供が右親指の付け根を、階段を支える手すりにぶつけて骨折した。最初は打ち身ていどに思っていたのが、翌金曜になってすごく腫れてきて、異様に痛がるので病院に連れてくと、レントゲンではっきりヒビが入っていて、
「軽い骨折ですね」
と言われ、ギプスを付ける。反抗期なので、包帯ひとつかえるのもうるさくて大変。右手が利かないのだからとあれこれ仕方なしに従っていたが、昨日はいいかげんキレた。すると、
「ママなんかいらない」
と言われる。
そうですか。じゃあお弁当も自分で作ってください。ひとりで寝て一人で起きてください。と、昨日は目覚ましも向こうにやって、別々に寝て、起きてみたら七時半。六時四十分には起きないと間に合わないのに、最悪、七時半に家を出ないと間に合わないのに、完全に遅刻。パン代をもたせて走らせる。ほんとに疲れた。心にも体にもお手伝いさんがほしい。
が、もしも戦争か何かが起きて、アウシュビッツ収容所のような所に私が入れられたとしたら、このような小さないさかいの日々をきっと懐かしく思って涙するのだろう。
そういえば、楳図かずおの『漂流教室』も親子のいさかいのあったあと、そのまま小学校が漂流してしまい、二度と親子は生きて逢えないという展開だが、私ももしもこんないさかいをしたまま子供と逢えなかったらどんなに心残りか。
このままどっかの収容所かなんかに入れられたとしたら、小さないさかいを懐かしく思い出すとともに、子供と和解できぬまま離ればなれになったことを深く悔やむに違いない。そして『漂流教室』の母親のように、子供の命が助かる可能性が少しでもあるなら、NASAに拙い英文で手紙を書くなど、どんなことをしてでもと、奔走するに違いない。
けれども、そんなことは極限状況に陥らなければ、なかなか思いもしないことで、こうして小さないさかいを重ねてはなんとなく日々が過ぎていくのだろう。そしてそれが幸福というものなんだろう。
だとしたら、幸福というのは、なんと退屈でイライラするものなのだろうか。などと思っているうちに、子供が帰ってきた。やはり朝いさかいがあっただけに、無事の帰宅はひとしお嬉しい。
それにしても、金曜は学校のイベントがあったので、午後、病院からそのまま現地に子供を送ると、集合場所にいた同級生たちが開口一番、
「えーっその指じゃ勉強できないじゃん」
と言ったのには驚いた。私の母校で同じことが起きたら「えーっその指じゃ食べれないじゃん」もしくは「漫画描けなくなるじゃん」と言われたであろう。私は母校のほうが好きだが、うちの子には、私の母校よりも、こういう反応のある学校のほうが伸び伸び勉強できて合ってるかもしれない。