古典に出てくる歯の話(6)

<これは息抜きに書いているんですが、少し短くして「産経」(毎週火曜。近畿地区夕刊)に書こうかなと>
 最近、奥歯が痛くてしみたりもしていたんですが、ここ二三日は少しやわらいでいる。
 この歯は以前も痛んで歯医者で削ったら「虫歯じゃなかった。歯茎だった」と言われ、どうも体調が悪いと痛むらしい。
 そんなわけで、またぞろ古典の歯の話を。



『私可多咄』(三)34話。
 昔、辺土で出産した人がいて、
「“鬼子”だ。殺そう」と相談していた。
 その傍らに老人がいて、「鬼子とはどういうものをいうのだ」と問うと、
“歯のはへて生れ出るものをいふ”
と答えた。それを聞いた老人は、
「歯がはえて生まれた子を鬼子というなら、髪がはえた“ふくし”(福子?)も鬼子というのか。歯は内臓の一部だから、内臓が強く生まれついた者は、胎内にいる時から歯を持って出てくるのだ。また女子で“陰穴”(女性器の穴)のない者もいるが、あわてず医者に相談するがいい。治療すれば穴が出てくる。また男子女子に限らず、七ヶ月で生まれてくる者も育つ。十五ヶ月腹にいて出てくる子も母子共に健康だったりする。いろんなケースがあるのだから、厭わず育てるがいい」
と、その“鬼子”と呼ばれる子を育てさせたところ、孝行者で無病、人より優れ、その上富貴になって、“百余才”の命を保ったという。


 ここで興味深いのは歯と鬼と長寿の関係です。
 というのも怪談『伽婢子』にはこんな話が(巻之九(五))。
 丹波の国、野々口の与次という者の祖母は“百六十余歳”になっても健在、若い頃からワガママで恥知らずだったが、八十になる与次を自分の孫だからといって、気に入らないことがあると、責め戒めることは幼児を叱る如くだった。
 この祖母は九十の頃、歯が皆抜け落ち、百歳になると新しく歯が生え替わった。
 そして夜になるといつもどこかへ行った。肉は落ち、骨張って、白目は青く変じ、小食なのに若者より元気であった。
 ある頃から昼も出歩くようになり、家族には「部屋を覗くな」と言うので、皆が怪しんでいたところ、与次の末子が酒に酔った勢いで部屋を覗いたところ、犬の頭やニワトリの羽、幼児の手首や人のしゃれこうべの類が数知らずあった。部屋を見られたことを知った老婆は怒って走り出て、行方知らずに。
“生ながら鬼になりける事疑なし”
と、話は結ばれる。
 


 『伽婢子』の鬼婆が夜や昼、うろついていたのはボケ老人の徘徊? てな気もしますが、歯が生え替わっていることに注目。歯と鬼と長寿の関係は深いのです。 
『私可多咄』の鬼子も“百余歳”まで生きたことと言い、鬼の要素はあったわけですね。
 が、一方、『酒呑童子』などで“鬼神に横道なき”と言われるように、鬼はよこしまなことをしないという観念もあって、そうしたプラスの側面が、この鬼子には出て、孝行な富裕人になったとも解釈できるのでは。
 なんて、いろいろ考えさせられる歯の話ではあります。