娘の小さなころ、描いた絵本シリーズ第三弾、
『海の猫屋』
娘の小さなころ、描いた絵本シリーズ第三弾、
『海の猫屋』
母見舞い。
娘がもうじきまたエストニアに行くので。
我々が歌をうたったら、なにかぼそぼそ分からない英語の歌をうたっていた。
何を言っているか皆目分からず。
ホームの部屋には、亡き祖母のニューヨーク時代の写真が飾られていた。なぜか祖母の写真だけで、母の昔の写真はなかった。
母の心の支えはニューヨークで過ごした日々だったが、とくに母の亡き母のことが母の支えなのだろうと、父なりに考えてそれを選んで持って来たのだろうか。
写真は1938年か1939年のニューヨーク、6、7歳の母。
左上 伯母、祖母、祖父、小さいのが母。伯父。外人女性はアルマという名の祖父の秘書。母以外、全員故人。とくに祖父は1946年、民間から通訳としてかり出されたボルネオでマラリアにかかり死去。
左上真ん中の右は祖母
下左 母
下右 母ら
振り返るとそこに輝いていた、と信じることのできる過去がある。
そう思えるだけで、母は幸せなのだと思いたい。
母の見舞いに行くと、なにかどーんと心身にくる。寝たきりで私のこともよく分からずアウアウ言ってる母を見るのが悲しい。
あんなに聡明で頼みになった母だったのに、
まじ、生きるって何なんだろうという気持ちになってくる。
今の母のようにはなりたくない。母も今のようにはなりたくなかったろう。だからといって、どうしようもない。母も幸せだったんだと思うか、あるいは50年後には私も母も大半の人は死んでる、大差ないと思うか。
娘が、スマホに入れたビートルズ、母の大好きだったビートルズを聴かせたら、「hey jude」のところで、ちょっと私は泣きそうになって、母に「いい曲だよね」と言うと、うなづいていた。
私のことも私の名も娘のことも分からなくなっていても。
私の最初の本、装丁は佐藤雅彦さんなんだよね。
凄く凝ってて、娘に言わせるとセクハラ? 的な仕掛けが表紙(をめくった部分)にあるのだが。とっくに絶版だが
⇒いつの日か別の日か―みつばちの孤独
このころの暮らしが下人だとすれば今は殿上人のような暮らしかも。でも思い出すと凄くきらめいている。あの時は死ぬほどつらかったのに。
なにしろ、失恋と失業のダブルパンチで。実家に行くたびお米をもらったり、母に持ってた記念コインやドルを売りつけて現金にしていたという……母にってところが小心で生ぬるいが。
この本に関しては大学の同級生(新聞社勤務)が「出す意味が分かりません」との手紙を何枚も書いて送ってきてショックだった。
中高時代の親友も「みっともない」と言ってきた。
学者になった岩淵君はロンドンから励ましのカードをくれ、いとこは買って祝福してくれた。
当の男は迷惑がり、昔の男は面白がった。
本が出た時、つきあい始めていた夫は、十冊買ってくれた。
二冊目以降は基本的にずーっと古典絡み。もともとなりたかったのは漫画家か学者だし(学者は、母が大学院行きを反対して、私も無理には……という気持ちで、諦めた)。