猫も羽<わ>で数えましょう(大塚ひかりの犬・猫・人・他)

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「人柄」という余分な飾り

最近、人柄と芸術作品ということを、連載してる「産経」に書いてて(といってもまぁ古典文学の実例をあげて、毎回六百字ていどのエッセイだけど)、ゴッホだけじゃなく、日本でも、顕著な例でいうと曽根好忠とか、生前はその「人柄」のせいで、業績が正当に評価されず、死後になって評価される人ってけっこういるんですよね。

方丈記で名高い鴨長明は、『無名抄』で、その例として、和泉式部をあげてます。
和泉式部の時代には、「和泉式部赤染衛門、どちらが優れた歌人か」などという問いが存在して、紫式部紫式部日記で、赤染衛門を「こちらが気後れするような歌詠み」と評価した。
しかし長明によれば、二人が死んで百年以上経つ今、二人の優劣を論じる人などいない、和泉式部が優れているのは誰の目にも明らかだから。
二人の生前は、赤染衛門が晴れがましい歌会、歌合で選ばれ、和泉式部が外れていたなんてのは、二人の人柄が作用しているのだ、と。



これ、現代でもそっくりそのままのことが言えますよ。
人柄が良く、明るく、楽しい人であれば、コネで仕事も増えるでしょう。たとえばパーティを開催すれば大勢の人が集まり、そこから刺激を受けて、才能が花開き、ますます活躍するということがあるでしょう。

一方、親に虐待なんかされたり、まぁ色んな遺伝子や環境で、性格も暗く、人に馬鹿にされるような言動をしている人は、友達も少なく、晴れがましい活躍はしないかもしれない。
しかし、本人が死ねば、「人柄」という余分な飾りが取れて、作品だけが評価されるようになる。
そうすれば、評価は違ってくるでしょう。
今は色んな作品が次から次へと出てきますから、本人が死んだあと、「再評価」という形で評価されるのはよほどのことなんでしょうが、それでもそういうことはあるだろうと私は、最近、思ってます。
(しかし思えば、今はネットがあるから、人柄関係なく、評価できるってことあるかもですね。逆に言うと、ネットで評価を受けてても、人柄はとんでもないってこともあるんだろうなぁ)。