「中央公論」11月号に、伏見憲明さんの『新宿二丁目』の書評書きました。
大正時代に二丁目の太宗寺に下宿していた母方祖母のことと絡めました。
二丁目は、性的マイノリティに限らない、社会的マイノリティ等々、マイノリティに寛大な町であると、本書を読んで知りました。
女学生の下宿先がなかなかなかった大正時代、祖母を受け入れた太宗寺。
なぜ太宗寺だったのか? と、長年疑問だったのですが、
そこには、多様性を受容する二丁目の精神が、あったのだなぁと、本書を読んでちょっぴり腑に落ちた次第です。
青木るえかさんもツイッターで書いてらっしゃいましたが、今年の新書ベストワンだと思います。
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祖母は結婚後、日本郵船勤めの夫について上海やニューヨークで暮らしました。
写真は1938年ころのニューヨークでの祖母。左から二番目「母」とあるのが祖母(1902〜1996)。
下の写真の右端が祖父(1900〜1946)、真ん中が祖母、抱かれているのが母、その隣が伯父(1972死去)、左端が伯母(1997死去)。
祖父は終戦の翌年、民間から交渉役の通訳としてかり出された先のボルネオでマラリアにかかって死んでしまいました。この写真から十年と経たずに死んでしまったわけです。この写真の時はまだ三十代なんですね……。