猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

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頼家の殺され方

大河ドラマ、人気ですね。

私も例年はそんなに見ない大河ですが、専攻が日本中世史で、『吾妻鏡』などはまさに授業でおなじみで、『愚管抄』も愛読書だったりするので、今年はわりあい見ています。

同窓の野村育世さんが、大河関係でテレビに出ていたりして、ますます興味が湧きました。

はじめのうちは茶番な感じだったのが、義経が活躍して死ぬあたりから、どんどん面白くなっていって、周囲にもそういう人が増えているようです。

 

ただ、実在の登場人物はいいのですが、架空の人物が出てくると、ちょっと分かりにくいところもあって、善児の女弟子のトウが、善児を「父の敵!」と殺したところなどは、にわかには意味が分からなかったです(見ているとはいえ、あまり真面目に見ていなかったということもあった)。検索すると、トウは範頼が農作業とかしている時に手伝っていた女の子で、両親を善児に殺されたあと、善児の弟子になっていたのですね。

 この女優は「ウルトラマンジード」という番組でも有名な方のようですが、そっちはさっぱり分かりません。

 

 それでも頼家暗殺のシーンは、『吾妻鏡』には書かれていないものの、京都方の『愚管抄』には書かれているので……それも衝撃的な殺し方……とても印象的で、注目していました。

吾妻鏡』は千三百年頃、北条氏得宗家の支配が確立したあと、書かれた歴史書なので、北条氏に都合の悪いことは書かれていないんですよ。

ゼミの亡き奥富先生などは、「頼朝、頼家、実朝源氏将軍三代はダメなのだ」と主張することで北条得宗家の専制を正当化したといい、

「とにかく『吾妻鏡』には嘘が多い。それを見つけるのも、『吾妻鏡』を読む楽しみでもある」(『吾妻鏡の謎』)と主張されているほどです。

 

基本的な史料としては貴重な『吾妻鏡』ですが、北条氏に都合の悪いことは書かなかったりねじ曲げたりしているため、真相を知るには、北条政子らと同時代に生きた慈円による『愚管抄』とか、定家の『明月記』といった京都方の史料が必要になるんです。

 

頼家の死因もその一つで、『愚管抄』によれば、頼家は北条氏に殺されています。

以下、拙著『毒親の日本史』からの引用です。

「一二〇三年九月二日、時政の一幡襲撃を知った頼家が驚いて太刀を取ろうとしたものの、病み上がりで力が入らない。それを、母の政子もすがりつくなどして捕らえ、九月十日にそのまま修善寺に幽閉。同年十一月三日、義時が一幡を捕らえ、郎等に殺させ、翌一二〇四年七月十八日、修善寺の頼家をも刺し殺させてしまいます。それも激しく抵抗する頼家を、
「頸に紐をつけ、陰嚢を取ったりして殺してしまった」(“頸ニヲヲツケ、フグリヲ取〈とり〉ナドシテコロシテケリ”)(巻第六)
 という残虐ぶり。
吾妻鏡』が事件から百年近く経って成立したのに対し、『愚管抄』の著者・慈円は、関白をつとめた九条兼実(一一四九~一二〇七)の弟で事情通な上、当時をリアルタイムで生きている。記事の信憑性は高く、頼家は母方の北条氏に殺されたことがはっきり分かります。」

 

というわけです。

「衝撃的なのは定家の『明月記』の記事で、それによれば、まだ頼家が存命中の一二〇三年九月七日、幕府の使者が上洛し、
「頼家が没し、子の一幡は時政が討った。弟千幡を跡継ぎにするので、許可してほしい」(本郷和人「本巻の政治情勢」〈『現代語訳 吾妻鏡』7所収〉)
 と言ってきた。
 頼家の死は翌年一二〇四年七月。この時はまだ死んでいないのに、です。」

 

 なぜなのか。

 考察していくと、比企氏の謀反と称する事件も、北条氏の陰謀で、実は頼家出家後は一幡の世となったということで、比企氏が外戚として正統な権力を握るはずだった、それで丸く収まりかけていたのを、北条氏が覆したといったようなことが、浮き彫りになっていくのです。

 ということを書いてます。↓

 

 

 

 

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