ビフォー源氏・アフター源氏というくらい、『源氏物語』は日本文化の画期となったわけだけど、私の中ではビフォー全訳・アフター全訳というくらい、『源氏物語』を全訳したことが画期となった(大それた比較の仕方すみません)。
そのくらい『源氏物語』への理解度・解釈が違ってきたと思う。
筑摩に感謝。
当時の編集者(今は玉川奈々福さんという浪曲師になってる)に感謝。
それまでも何回となく『源氏物語』は通読してきたけれど、一言一句意味を探って、引用されている漢籍なども調べて、訳していくという作業は想像以上に大変だった。
読むと訳すは大違いである。
源氏鬱になったくらいだった。
全訳中の「源氏鬱」は、終わると癒えてきたとはいえ、しばらく源氏はたくさんだという思いは8年くらい続いた。それがやっと癒えてきたころ、書いた本→
「ビフォワー源氏、アフター源氏」っていうのは、以下の本で書いた私の小見出しからとった私の造語。→