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色々と共感を覚えるところが多かった。
他業界からすると、出版関係、マスコミ関係というのは、ものすごくおかしなことがまかり通っていると思うことは多々あるのだが、その最たるものがノーギャラの仕事だ。
ノーギャラで仕事と言えるのかどうか分からないが、
「本を売るため」
「宣伝のため」
という理由で、取材やイベント、媒体出演、オンライン媒体の抜粋記事(これに関しては全部ノーギャラ)などが、ノーギャラであったりすることがほとんどである。
とくにオンライン媒体が出てきてから、こういう傾向は強まった気がする。
版元にしても、「本が売れないから」「宣伝費がかさむから」という理由付けがある。
が、新聞社や出版社、ラジオ局やテレビ局、書店の人が給料なし、交通費なしかというと、そんなことはない。
だからこそ、色々と気を使ってくれて、飲食代を払ってくれたり、版元によっては交通費的なものをくれたりという向きもあるのだろう。
本を売るために一生懸命になってくれている、というのもありがたいことだ。
が、そもそも人を働かせてギャラなしというのはおかしいのではなかろうか。と私は思う。
オンライン媒体とか、ラジオ局などの感覚がマヒしているとしか思えず、出版社も宣伝費を抑えて本を売りたいから、それに乗るということになるのであろうが、そういう「仕事」を依頼される側にしてみれば、その依頼を見たとたん、金銭の問題以上に、精神的に疲弊するものがあるのである。
まして断るストレスや後味の悪さといったら半端無い。
ノーギャラで頼もうとする人は、もし自分であったら……給料もなし、交通費もなしで、二時間・三時間拘束すると言われたら……と考えてみてほしい。著者の場合、いやいや、それで本が少しでも売れればいいでしょ、それが給料だよ、という理屈であろうが、それで増刷されるまでに売れるということはあまりない。昔はテレビに出れば増刷ということもあったけれど。
また、その依頼を受け取った側の、自分はこんなに安く見積もられているのか、足元を見て言ってきているんだ、けど、本は売れてほしいし宣伝はしたい、何より関係者と気まずくなりたくない、相手に喜んでほしい……などなど、さまざまな苦悩や葛藤が瞬時に生じ、暗い気分になることを想像してほしいものである。あと、三日くらい引きずったりもするし。
増刷といえば、この話とは全く関係ないが、
『女系図でみる驚きの日本史』の七刷が決まりました。
この出版不況の中、ありがたいことだ。
娘が、「ママの本を買ってくれる人は全員サポーターだよ。ありがたいね」と言っていたが、本当にありがたい。
物書きはやはり本が売れてなんぼ、読んでもらえてなんぼだから……。図書館で読むのも、読まないでいてくれるよりはいいけれど、本が売れないと次の注文もなく、本は容赦なく絶版になっていく。ブログなどに「この本は図書館で読めば良し」なんて書かれているのを見ると、もしこれが本でなければ炎上ものだよなぁとさみしく思ったりする。
色々考えると、本というのは、とても特殊なものなのかもしれないね……。
それ専業で生活するような人は滝沢馬琴とか十返舎一九が初だというから、それだけで食えるものではないのだ。紫式部はもちろん、前近代のほとんどすべての物書きは、他に職があって、その傍ら、もしくはその職から得られた知見で以てものを書いていたわけだから。
そもそもこういうことがストレスな人はやっていけないというか、やめたほうがいいのかもしれない。