うちのシバは近所の人気者で、老若男女、いろんな人たちが、
「シバちゃ〜ん」
と話しかけたり、
「わんちゃん!! ワンって鳴け!」
と言ったりしている(うちのシバはほんとにめったに鳴かない。今まで鳴いたのは散歩中、私や子供に足を踏まれたときとカエルを見たときだけ)。外で人声がしても、
「ああまた誰かがシバに話しかけているんだな」
という感じである。とくに犬連れの人は必ず柵越しにシバに話しかけて行く。ときにはよその犬にシバが吠えられることもある。
その朝も、よその犬がワンワンと吠えていた。それで子供が窓からシバを覗いたところ、
「いま信じられないようなことを見ちゃった」
と言う。
「なに?」
ときくと、
「犬を連れた知らないおじさんがシバにエサやってた」
と言うではないか。
「え?うそ。ひとんちの犬に〜? どこどこ」
と窓の外を見たが、後の祭り。おじさんと犬はいなかった。ところがそれから五分と経たぬうちにまた、
「ママ、ママ、またさっきのおじさんが来て、シバにビスケットやってる」
と言うではないか。すは!と見たら、犬を連れた、赤い帽子をかぶったおじさんがにこにこシバを見ている。そして、たしかにシバは見覚えのないビスケットを食っている。
「ひとんちの犬に勝手にビスケットやるなんて! だからちゃんとした食事を食べないときがあるのかも。シバもシバだね。誰からのエサでも食べるんだから」
とおじさんに文句を言おうと外に出たが、犬を連れたおじさんはすたすた角を曲がってしまった。しかたないので、こんなことして感じ悪いかな?と危惧しつつも、小さな板っきれに
「エサを与えないでください。シバより」
と書いて、ぶら下げておいた。これで良し!と思っていたら、信じられないことにまたまた、
「ママ、ママ!! またさっきのおじさんが来て、シバにビスケットやってる!」
と子供が叫ぶではないか。
「ええ〜? 板っきれ、見えなかったのか!」
と、さすがに三度目ともなると、私も切れてしまい、パジャマ姿で外に出てだーっと走って角を曲がると、犬連れのおじさんがいる。しかしおじさんの名も犬の名も知らない私は、
「犬のおじさーん、いっぬっのおじさーん!!」
と大声で叫んだ。道行く通勤途中のサラリーマンや、小学生がいっせいに私を見たが、犬のおじさんは振り返らない。ダッシュで追いつくと、おじさんはイヤホンをして何かきいている様子。それで近づいて、
「すみません!」
と言うと、不機嫌な顔で振り向くではないか。うっこわ…とは思ったが、ここまで来たら引き返せないので、
「あ、あの、うちの犬にエサをやらないでもらえますか」
と言うと、急におじさんはすまなそうな笑顔になって、
「あっ、すみません」
と恐縮して行ってしまった。
あとから子供が言うには、
「よその犬に吠えられたら、その犬の飼い主に餌付けしてもらうと、よその犬も仲間だと思って吠えなくなるって本に書いてあるから、そのおじさんもシバにエサをやったんじゃない?」
とのこと。そうかもしれない。しかし、行きつ戻りつ三回もエサをやるとは。やっぱりシバの可愛さが尋常ではないからなのでは…と最後は親バカな私であった。
板っきれはもちろん、すぐに外した。