猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

し根っこ

晦日は群馬の川場スキー場に行ってきた。
スキーは四十四から始めたが、やっぱし年取ってからじゃダメなのかしら。
一回目はぜんぜんすべれず、転びながら、夫に助けられつつ、ずるずる下までやっとこ。
二回目は奇蹟のように転ばず、ひとりで下まですべれたものの、
三回目は、途中で転んだあと、スノボーに激突されるのではという妄想が頭から離れなくなってしまって、恐怖でまたまたすべれなくなってくたくた状態で、ようよう下に。
「あぶねー」とかガキンチョにののしられつつ……。
いずれも初心者コースだってのに、うう。
あとは珈琲のみながら休んでた。
夫は合計五回、子供は六回すべったらしい。









最近、小松菜とか三つ葉とか芹とかの、根っこが棄てられない。
とくに八百屋で買う野菜は見事な根っこが生えてるのが多くて、
根っこを植えるとそこから生えてくる、生きてると思うと、もったいないのと可哀想なのとで棄てられなくなって、狭い敷地や植木鉢がどんどん根っこで埋まってって、もう植えるところがなくなってるのに、根っこが棄てられない病になっている。
一種の神経症なのかも。
それで昨日、土と植木鉢を買って、ああこれでしばらくは根っこスペースができたと思うとホッと一安心するのも、我ながら病的。
だけどおととい買った小松菜もまた立派な根っこが生えてるから、これ全部植えるとすると、植木鉢も埋まっちゃうだろうな。
もう根っこのついた野菜はしばらく買うのはよそう。
三つ葉も、根三つ葉じゃなく、切り三つ葉にしよう。
「そうしよう、そうだねっこ」
とかつぶやいていたら、子供が、
「そんなバカはしねっこ」
と駄洒落。
「それいいね。死ねっこ。死ねっこのほかに、根っこと掛けられる言葉って」
と私が言うと、
「往ねっこかな」
「よくとっさに思いつくね」
「命令形が『ね』になるのは、ナ行変格活用で、古語だと『死ぬ』と『往ぬ』だけじゃん」と、子供。
 たしかに……。
 古典エッセイストだってのに、言われて思い出したよ。