猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

水窪の田楽祭

maonima2017-02-16

2/14は数十年ぶりに水窪の西浦田楽に行って来ました。
車で往復10時間。夫にはこの日のために前もって休みをとってもらって、運転お願いしました。
月の出から日の出まで夜を徹しての祭が中世から(伝承によると養老三年から千三百年にわたって)続けられています。
今回は、御船渡りのある夜中の一時頃、寒さにたえられず帰って来ました。
神降ろしの舞が長いので、興味のない人には苦痛かもですが、私は途中で舞曲が陰から陽に転じるトーンが好きです。
遠山の霜月祭で、夜中の二時ころ、「あらよっと」という掛け声で、お面の人がいきなり陽気になるみたいな感じ。
神が降りてきた瞬間とでもいうのか。
夫は「とんでもない祭だな。凄い星空が見えただけでも来て良かった」と言ってくれてるんで良かった。


能衆は世襲で受け継がれているのですが、吉川祐子氏の『西浦田楽の民俗文化論』よむと、高度成長期に夜逃げ同然に村を出て行った能衆も何人かいたとか。
その分、残った人たちの負担が増え、パーツを複数担当したりそれはそれは大変だったと。能衆は完全世襲制だったのが、最近では世襲でない人も採用している、しかし問題はその人の子が必ずしも受け継ぐわけではないことで、そのへんの問題があると。


それにしても、イントロの退屈なまでの神降ろし(私は好きだけど)にしても、よくぞ昔の形のまま残したものだと感銘を受けます。
エンタメ的に面白くなるのは開始から二時間以上経ってからなんですが、それも今の狂言の元祖という感じでほんとに興味深いです。


水窪の田楽、1回目は二十代で、2回目もそうだと思ってたら、いま資料が出て来て平成6年つまり23年前の2月、33歳のころだと分かりました(この年の晩秋、娘が生まれたんですよね)。この時は夫とではなく、こういうのが好きな仲間十人くらいで行ったのです。
その時買った水窪祭のガイドブックの表紙、能頭の守屋政次氏の若かりしころです。変わってない!



能頭の守屋氏、インタビュー↓
http://sasaeruchikara.jp/?post_type=parsons&p=2315
https://www.youtube.com/watch?v=HJQh7g82crc

別当の高木氏、インタビュー↓
https://www.youtube.com/watch?v=7TyMrEFStL8