猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

カレンダーの季節

来年のカレンダーが並ぶ季節となった。
大学のサークルの後輩が、コラムを担当した月の満ち欠けカレンダー。
人間の心身は、月の満ち欠けに密接に関わっていることはよく知られた話。
自分のカラダの変調なんかを記録すると、月の満ち欠けと意外な相関関係が分かったりして、面白いかも。
http://hoshi-biyori.cocolog-nifty.com/star/2009/11/2010-32fb.html




私はここ15年くらい、ずっと、在外日本古美術品保存修復カレンダー基金のを買ってる。
去年まではたばこ会社のフィリップモリスの名が冠されていたが、母体が変わったのだろうか。
見れども飽きず、飾っても美しく、ためになる。
来年のは「虫歌合絵巻」。





そういえば、母が病院で食事をしてもすぐに忘れて、「昼はまだ」とか言って、看護師に何度も「さっき終わったでしょ」と注意されているのを知って、子供と考えて、今年の要らないスケジュール手帖に、朝・昼・晩と食べるたびに、シールを貼ったらいいのではということになって、二週間前、
「食べたらここにシール貼ってね」
と言って渡してきた。
「忘れないようにね」
と言うと、母は、
「●ちゃん(うちの子の名前)に言われたことは忘れない」
とつぶやいていたが、どうせ忘れるだろうと思って、一週間前、行くとちゃんと貼ってて、
「これ、貼るの、けっこう楽しいの」
と言っていた。
 昨日も貼っていたようだ。
 ただし、夜に貼るように言った赤いすいかシールを月だと勘違いしていて、
「これ、夜だからお月さんなのね」
と言っていた。
目に見えるものも、きちんと認識しにくくなっているのだなと感じた。
あんなにしっかり者の頭の良かった母が、いま、食事したことも忘れ、それを忘れぬよう、シールを貼っているのを見ると、妙な夢を見ている心地になるけれど、脳血管性の認知症は本人もそうしたことが分かって、もどかしく感じているそうだから、ふと正気に返った時はさぞ辛いことだろう。
それで鬱気味になる人も多いとか。


こないだテレビで認知症の施設のことをやってて、そこに射撃の練習をしているおじいさんがいて、その人は元警察官だったと解説していた。
きっと警察官にとってのピストルは、武士の刀のような、誇りの拠り所だから、射撃の練習をしていると心が落ち着くのかもしれない。

母がしきりに、英語の授業を再開するような妄想を口にするのは、母の最後の砦というか、アイデンティティと誇りが英語と、まだ母の父親も生きていて楽しかった幼い頃のアメリカ生活なんだろう。
それで心が落ち着くのなら。