猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

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今日も朝から気分が重く、なにか体中が痛くなってる。

恋だ愛だで悩んでいられた昔の自分は幸いだったのだと最近痛感するけれど、その時は定職もなく貯金もなく将来の展望もなくほんとにどん底な気がしていた、だけど心のどこかでは気づいていた気もする、自分がいいご身分、恵まれていることに。
しかし今、母のことで動き、老健でさえ年金暮らしでさえ納税家庭では月20万、個室30万月かかると知り、
「介護に関して言うなら、日本ではうんと貧乏かうんと金持じゃなければ過ごしにくい」
という土本亜理子さんの言葉がよみがえり、自分は恵まれてなどいないのではないか、勘違いさせられているだけだったのだという思いに襲われる。
が、また一方で、協力的な夫がいて、好きな仕事ができて、父も頑張れば母の介護費を払えなくはないという現状に、やはり自分は恵まれていると思うべきかも知れないという気持ちが湧いてきて、怒りをのみこんでしまう。
母だけなら、有料ホームでもそれほど高級でなければ、父の金で入れないことはないだろうし。
けれどさらに考えてみれば、大阪生まれの次男坊の父が、四十年近くこつこつ働いて、関東の郊外に小家をもって、小金をためて、これからという時、母がこうなって、さて母が有料ホームに入ったとしたら、頭金や毎月の出費でそれまでの小金はパーとなり、年金だって取り崩さなければならないだろう。
そして父自身がいざ有料ホームに入ろうとしても、小家を売っても間に合わないということになるかもしれない。




まして貯金もろくにない私や、弟が、同じようなことになったら、もっと悲惨な未来が待っているのではないか。
一生懸命働いたって、それで年金をもらったって、結局、納税家庭は老後のいろんな軽減措置もなく、非課税世帯はその逆と知ると、意欲がしぼんでいく。
好きな仕事だからやっているけれど、そうでない人は働く意欲も萎えてしまうのではないか、それでも日々生きるためには働かなくてはならないけれど。
私みたいな中間層が人口の大半を占めるであろうことを思うと、どうにかしないとこのままでは……。



とにかく現状のままでは、生きている限りは、元気でいないととんでもないことが待っているんだから、ますます日本での健康・健常至上主義は強まるばかりに違いない。
そこらの犬猫なら、動けなくなることイコール死を意味するわけだが、極貧でも金持ちでもない中間層の運命は、そんな犬猫と大差ない気がする今日この頃だ。





あと、老健回って思ったが、老人一色というのは、いくら部屋が明るくても、雰囲気が暗く、こっちも絶望的な気分になるものだ。
小さい子のいる保育園と一体化した形の老健や特養をたくさん作ってもらって、簡単に入れるようになったらどんなにいいか。