猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

女系図でみる麻原の結婚計画

大島てる&上祐史浩イベントに触発されて読んだ上祐史浩の『オウム事件17年目の告白』、

この中で、ああ、やっぱりそうなるのか、と思ったのが、

1994年に、麻原が男性の高弟が最終解脱するには、麻原の「娘と交わる必要がある」と説いたこと。

それで、上祐氏の相手は麻原の長女、遠藤が四女、村井や新実は麻原の愛人の娘を相手にするように決められた、と。

そして1997年に長女と上祐氏を結婚させる、とも麻原は言いだした、と。

 

 

結局、1995年に逮捕されるので、これは実現しなかったというが、

いや〜〜これって、戦国武将と同じ政略結婚だよね、要するに、娘を使っての勢力基盤の安定化をはかっているわけでしょ。

しかも、なにげに、弟子によって与える娘に差別が生じているのも興味深い。

高弟の中でも上祐氏とか一番のお気に入りは正妻腹の娘、

二番手は愛人腹の娘、と、一段低くなってる。

これって、平安中期の道長が、トップの妻の源倫子腹の娘三人(彰子、威子、嬉子)は天皇家に入内させる一方、ナンバーツーの妻の源明子腹の娘(寛子、尊子)は、小一条院という廃太子(東宮を降りた皇子。道長の圧で降りた)や、臣下(源氏)と結婚させるというふうに、母の「腹」によって区別(差別)をしているのと似たようなもの。

 

発想は変わらないんだなぁ。

「腹」がいかに大事かは、拙著に書いたのでぜひ買ってくれ。↓

 

女系図でみる驚きの日本史 (新潮新書)

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女系図でみる日本争乱史 (新潮新書)

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麻原の娘との交わりを提案されたことが書いてあった上祐氏の本↓

オウム事件 17年目の告白

オウム事件 17年目の告白