大島てる&上祐史浩イベントに触発されて読んだ上祐史浩の『オウム事件17年目の告白』、
この中で、ああ、やっぱりそうなるのか、と思ったのが、
1994年に、麻原が男性の高弟が最終解脱するには、麻原の「娘と交わる必要がある」と説いたこと。
それで、上祐氏の相手は麻原の長女、遠藤が四女、村井や新実は麻原の愛人の娘を相手にするように決められた、と。
そして1997年に長女と上祐氏を結婚させる、とも麻原は言いだした、と。
結局、1995年に逮捕されるので、これは実現しなかったというが、
いや〜〜これって、戦国武将と同じ政略結婚だよね、要するに、娘を使っての勢力基盤の安定化をはかっているわけでしょ。
しかも、なにげに、弟子によって与える娘に差別が生じているのも興味深い。
高弟の中でも上祐氏とか一番のお気に入りは正妻腹の娘、
二番手は愛人腹の娘、と、一段低くなってる。
これって、平安中期の道長が、トップの妻の源倫子腹の娘三人(彰子、威子、嬉子)は天皇家に入内させる一方、ナンバーツーの妻の源明子腹の娘(寛子、尊子)は、小一条院という廃太子(東宮を降りた皇子。道長の圧で降りた)や、臣下(源氏)と結婚させるというふうに、母の「腹」によって区別(差別)をしているのと似たようなもの。
発想は変わらないんだなぁ。
「腹」がいかに大事かは、拙著に書いたのでぜひ買ってくれ。↓
麻原の娘との交わりを提案されたことが書いてあった上祐氏の本↓