トークイベントを聞き、触発されて本二冊を読んだが、やっぱり拭い去れない疑念がある。
そこまで信じていた人が、完全に断ち切れるのかという……。
ひかりの輪を立ち上げたのは、オウム時代の贖罪をしようという気持ちもあるのだろうけれど、
まず第一に、私が気になったのは、上祐氏の本のこんなくだり。麻原が上祐氏についてこんなことを言った。
「百生ほどあとの来世には麻原から独り立ちすると語り、ほかの信者にもそう説法した。今現在、私は(今生において)麻原から独立したが、これは、ほかの信者に比べれば麻原による支配が少なく、誇大自己が弱かったためだと解釈できるかもしれない」(『オウム事件17年目の告白)
確かに、そうなのかもしれない。
けれど、これではまるで、上祐氏が麻原の言った通りになっているようで、麻原の予言を肯定しているようにも読める。
もちろん本人にはそんなつもりは毛頭ないのだろうけれど、どこかで、まだ麻原の支配がカラダのどこかに残っているのではないか、と感じた。
もう一つ気になったのは、父親への思いである。
上祐氏の子ども時代、女を作って家を出た父親は、当然ながら、尊敬の対象にはならなかった。
が、翻って考えると、父親は毎月欠かさず10万円の養育費を送り続けていた。上祐氏が団体内部に扶養すべき対象を持ち、外部に賠償すべき対象を持つ今、こうした父親は「目指すべき手本となった」(前掲書)といい、
「父親は〜〜(略)〜〜真に尊敬・感謝すべき対象」となり、
「父は、私を『捨てた』のではなく、『遠くから支えていた』と考えるべきだと思う」(前掲書)
というのだ。
このくだり読んで、上祐氏の父への思いの切なさに、目頭が熱くなると同時に、上祐氏が見ているのは、「現実の父親」ではなく、「自分の見たい父親」なのではないか、それって、オウムの犯罪を薄々知りながら、「現実の麻原」ではなく、「自分の見たい麻原」を見て、打ち消し、かばっていた、過去の上祐氏と大差ないのではないか、とすら思えたのだ。
子は親が自分を虐待しているとは思いたくないもので、虐待された者の三分の二が虐待は「ない」と認識しているという(ジョナサン・H・ピンカス『脳が殺す』)。
これは一つの自己防衛本能で、そのように考えないと、あまりにもつらいからなのだが、そういうにおいを、上祐氏の認識にも感じた。
つまりはまだまだ、上祐氏は、つきつめて考えたとは言えないのではないか、と思ったのだ。
拙著もよろしく!