猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

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死骸敵対……日本人の遺体観

毒親の日本史」の仕事で、『吾妻鏡』の、婿の留守中、父が娘と性交しようとして、拒まれたので自殺した、婿は妻が父親に従わなかったのを「不孝」として離縁し、出家して舅の菩提を弔ったというような記事を紹介した(掲載はもっとずっと先)。

 

色々ツッコミ所満載で、なんで娘が非難されるんだということが毒親日本的にはまずあるんですが、ここで注目されるのは、近隣の人が、自殺した父親の死骸を見に来たということで、これについては、「死骸敵対」という中世のことばと結びつけて、勝俣鎮夫が書いてます(『中世の罪と罰』所収)。

「死骸敵対」とは主として相続の時などに使われることばで、たとえば、弟が兄と相続争いをする時などに、父の遺言をもちだして、兄の言い分は父の意向に添わない、父の死骸に敵対している、というような使い方をする。

こうしたことばが成立するのは、死骸が単なる死骸ではなく、「霊力」があるという観念があるからといいます。

古代には、死骸をすぐには処理せず、死骸に問うということも行われていたようです。

 

 

大事なのは、死骸の意志を叶えてやるということのようです。

 

 

 

今ではそんな観念も失われたかと思いきや、よく言われるのは、航空機事故などで、日本人の遺族は遺体にこだわるということです。

遺体を発見して、収めるということにとてもこだわりが強いというのです。

 

 

そういえば母方曾祖父は、関東大震災の時、関東の祖母を案じて関西からお金や物資を持って出て来たのですが、そのまま行方不明になって、遺体もないということを祖母に聞いたことがあります。

祖母曰く、電車から振り落とされて大井川にでも沈んだのではないかとのことでしたが、大金を持っていたとのことなのでたぶん殺されたのではないか……。

 

 

遺体もないということを祖母が強調していたことが思い出されます。