猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

十歳にして愛を知った。

maonima2007-08-20

 八十年代のバブルのころ、コピーライターがタレントみたいになって、じっさい女優と結婚する人も多かった。まさに花形職業だったのだ。
 眞木準は浅野温子と結婚したし、糸井重里樋口可南子と結婚した。共に電通とかのじゃなくて、フリーのコピーライターだった。
 あと、仲畑貴志なんてのも有名なコピーライターだった。糸井重里の「おいしい生活」はともかく、眞木準の、
「十歳にして愛を知った。 」
というキャッチコピーを新聞で目にした見た時は思わず、見入った。リードコピーをよむと、これは日本人は小学四年生…十歳で「愛」という漢字を習うところから、作られたコピーだった。何の商品だったか、あるいは企業広告だったかもしれないが、それは忘れた。
 仲畑貴志
「ケンカはやめた。だから、もう負けない。」
というのも、うまかったなぁ。

 林真理子中村うさぎもフリーのコピーライターだったんだよね。
 コピーライターの黄金期はしかし、バブルが弾ける頃には終焉し、これといったスターは出なくなってしまった。
 コピー一本何百万という時代は終わり、電通博報堂という企業に属するマーケティングプランナーとか、プランナーと呼ばれる人が浮上してきた。そして電通のプランナーである佐藤雅彦さんのようなコピーも企画もやってしまうような人が出て、とくにフリーのコピーライターはまた以前のように地味な存在になってしまった。
 企業に属するプランナーといえば、新井満電通逢坂剛博報堂の、それぞれプランナーだったんだっけ。
 
 しかし、最近、ちょっとこのコピーライターの黄金時代に活躍した人のことが気になったりしている。
 杉山恒太郎とか岡康道とかはたしか電通の人で、コピーライターというよりプランナーとかディレクターでもあったと思うが、どうしているんだろう。今もCMの裏方に徹していい作品を送り出しているのだろうか。もともとコピーライターもプランナーも裏方だったのだから、今もそうし続けているとしたら、これはこれで素晴らしいことだ。案外、こういう人たちのほうが公私共に安定した暮らしをしていたりするんだろうなぁ。
 けれどもっと気になるのはフリーのコピーライターだけれど、どうしているんだろうなぁ。
 
 八十年代は私も広告業界に近いところにいたから。さぁ『源氏物語』やろ。
 
★岡康道氏はずいぶん前に電通から独立したようです。