これは槙さんの担当者の言葉だが、槙さんは医心方を完全に自分の「作品」だと思っている。だから訳にしても、槙さんの訳のまま使ってほしいと言っているのだとか。
「国会図書館の本をネット検索したらO出版社とか他社のもありましたよ」
と言うと、担当者は、
「それは今は手に入らないはずです。他社が槙さんの医心方の漢文をそのまま使って、本を出したので、槙さんは訴えを起こしてすべての本を出版差し止めにすることに成功したんです。国会図書館でも閲覧もできないはずですよ」と言っていた。
しかし、人に指摘され、いま医心方を出しているO出版社に直接、電話して聞いたところによると、まるで話が違う。国会図書館で閲覧もできるし、裁判など、どんな本に関しても起こされたことはないという。
o出版のものは半井家本で、文化庁に出版の許可を得て出したものだそうだ。ただし槙さんの本のような全訳精解ではなく、影印本で部数も少ないので、図書館や研究者しか買わないのだという。
対する槙さんの医心方は、この半井家本を江戸時代に書写した安政本を底本にしている。もちろん槙さん個人による全訳精解がついていて、O出版より先にでている。電話口に出た女性は詳しく説明してくれた。
「たしかにうちのほうがあとから出たけれど、底本が違うのだし、うちのは影印本なので、槙さんのものを写すというのはありえません」とのことだった。
うーん。槙さんの担当者が、槙さんの言った事を勘違いして伝えたのか。私の聞き間違いだったのか。しかし出版差し止めに成功って。たしかにもう増し刷りはしていないそうだが、在庫はあるので直接注文すれば買えるという。図書館でも見れるし、買えもするのだ。それともほかの出版社の医心方のことだったのか。槙さん本人に確認するしかないが、本人が直接言っていたわけではないし。ともあれ、指摘してくれた人に感謝である。<10/31付記
担当者に問い合わせたところ、出版差し止めになったのは、担当者が知っている限りでは、槙さんと他のお医者さんとの共著による単行本とのこと。しかし本の名も具体的にはわからず、しかも共著という自分の関わった本を出版差し止めにするというのも良く分からない。色々事情があるのだろう。もうこれ以上考えるのはよそう>
『源氏物語』はたくさんの原典が出ていて、あとから出たものは、それぞれ刊行されていない諸本をつきあわせつつも、すでに刊行された以前の校訂本を参考にしている。だから参考文献には先人がよみやすく提供した原典が記されている。訳も作家などがたくさん出している。
引用の際にはそれを明記するのは当然だ。だが、たとえば『源氏の男はみんなサイテー』などで、私が原典をもとに自分で訳したり解釈した場合、いちいちそのつど、どの本を使ったかは記さない。
医心方に関しても、『源氏物語』と同様、その作者は丹波康頼だと私は思っていて、槙さんは「原典」をよみやすい形で提供してくれたんだと考える。だから直接、槙さんの言葉や訳を引用した二箇所は槙さんの名を示したけれど、そうでない他の箇所は記さなかった。それで問題ないと思っている。
今回のことは私に非はないとはいえ、苦い思いが残った。
色々ひどいことを聞いたからだが、思えばそれらはすべて伝聞で槙さん本人からは直接文書でも口頭でも何を聞いているわけではない。伝聞によって事が歪んだり大げさに伝わった可能性もあろう。また今回の事実関係だけを考えると、私にも反省すべき点はある。と、昨日あたりから思うようになった。
それは私の「原典に対する解釈」で、ほかならぬ『源氏物語』の訳をしている今だからこそ、つくづく考えさせられるものがあったのだ。
たしかに私は古典が好き、古典オタクとして中学生の頃から古典を読んでいるが、それは当然ながら、皆、活字になって刊行されたものばかり。
学者たちが、原本あるいは影印にあたり、諸本をつきあわせて、活字にして、場合によっては槙さんのように章だてもするなど、並々ならぬ苦労の上に成り立った、岩波や小学館や新潮や筑摩や平凡社や新人物往来社や吉川弘文館などから出ている、『源氏物語』『枕草子』『大鏡』『平家物語』『義経記』『尊卑文脈』その他、数えきれないほどの古典の数々。それを私は「原典」と呼んで、
「先入観が入ると嫌なので研究書はなるべく読まないようにしている。まずは原典だ」
などと、とりわけ二十代の頃などは人前でも言って、貪りよんでいた。
が、今、『源氏』訳をしていると、「原典」を活字で読めるようにしてくれた先人の苦労に改めて頭が下がる思いになる。「原典」作り自体が研究であって、「原典」が研究書であったりもするんだと。
そんなことは学者にとっては当然の認識なのかもしれないが、『源氏』訳をしていると、これが骨身にしみる。そして、この、原典を使って何かをする、訳をする、色んな読みをするというのは、すべて「いいとこどり」と言えるのではないかと。
夏目漱石研究者にとっては「坊ちゃん」も「こころ」も原典ですよね。
しかし夏目漱石にとってはそれらは「作品」なのです。漱石は、自分の研究をしている人を「いいとこどりをしている」と思うでしょうか。思わないでしょうけれど、ある意味、漱石研究者は漱石の作品という手応えのある「原典」のおかげで、研究書を出せているのですから、「いいとこどり」をしているわけです。
こうして考えると、学者にとっても苦労して校訂した本は「作品」という思いがあるのではないか。
しかしその「作品」が漱石の「坊ちゃん」や「こころ」と違う点は、学者が読むにたえうる形にしたその「作品」には、大もととなる「原作品」「原本(直筆でなく、もともとの原作品という意味で使う)」があるってことです。
だからやっぱりそれはいくら学者が「作品」と思っていても「原典」なのです。
「坊っちゃん」や「こころ」は「原典」であり「原本」だけれど、学者の校訂本は「原典」ではあるけれど「原本」ではないのです。
そして自分の校訂した本が「原典」として多くの人に読まれ、活用されていくというのは喜ばしいことなのではないかとエッセイストの私は思ってしまうのです。もちろん原典を引用する側には使用した本の名を記すという最低限の礼儀は必要なのは言うまでもありませんが。
私にとっては『源氏物語』も『枕草子』も『蜻蛉日記』も『大鏡』も『義経記』も『白氏文集』も『吾妻鏡』も『医心方』も、その他もろもろ、古典はみんな原典であってタネ本です。学者の皆さん、本当にありがとうございます。という気持ちになれたのが今回の収穫である。でも、傲慢な学者は嫌いです。