猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

犯罪者の犬

もう二十年も前から、仕事仲間に誘われて、サンカ研究会ってのに何年かに一度行ってる。
最近、山岸凉子津山三十人殺しをモデルにした「負の暗示」を読んで気になって(漫画自体は山岸モノにしてはアレだったが)、やはりこの事件をもとに書かれた横溝正史の「八墓村」をとばし読みしたり、筑波昭のルポを読んだりしてたところだったのだが、
今度のサンカ研は、朝倉喬司さんが津山三十人殺しについて話すというので、
昨日、行ってみた。
いつもと違って、朝倉さんの本(『都市伝説と犯罪―津山三十人殺しから秋葉原通り魔事件まで』 )の出版記念イベントという形だったので、阿佐ヶ谷ロフトってとこで、昔、週刊現代でコンビを組んだ担当編集者(元木昌彦)や、実話ナックルズの編集長(久田将義)とのかけあい式だった。



内容は津山三十人殺しの話はほとんど出てこず、今の凶悪犯罪についてや、何十年か前の週刊現代記者時代の話がほとんどだった。それらの話はともかく、
津山三十人殺しの事件を見聞している人は今も生きていて、そうした老人に話を聞くと、朝倉さんが意外に感じるのは「土地の人が犯人に同情的である」ということ、なんだそうだ。
「犯人は女に裏切られて気の毒じゃ。頭の良い優等生じゃったのに」
みたいな感じなんだって。
それは私も意外に思った。
だって二百人足らずの村で、三十人の人が殺されて、その犯人に同情的なんて、ちょっと考えにくいから。
しかしもしや、これは、その土地で生きる人の目にとっては、女に強い恨みを抱きながら自殺した犯人の霊は「怨霊」になると映っているのでは。それで、その霊に共感し、慰める気持ちが働いているのかも。というか、こういう心理が「怨霊思想」の始まりなのでは、と、話をきいていて思ったことだった。




あと、いろんな凶悪犯罪者の生家を四十年間、取材していると、それぞれさまざまな家がある中に、一つ共通点があるのだという。
それは、その家が犬を飼っている場合、
その犬は必ず「すさんでいる」んだって。
猫は、ポーカーフェイスで違いは分からないけれど、
「犬は正直だ」と朝倉さんは言ってた。
幸せそうな犬の家では、
凶悪犯罪は決して起こらないそうだ。
すさんでる犬ってどんな感じだろう。
幸せそうな犬ってのはこんな感じなんだろうが(→http://ameblo.jp/shiba-chico/)




朝倉さんの仲間の日名子暁も頭が朝倉さんのようにはげてて、朝倉さんと並ぶと、酔っぱらった双子のぼけ老人が昔話に興じているのを、二人して演じているような、妙な芸を見ているようで、良い味を出していた。
日名子さんによると、関西のどこそこでは人口三万人のうち一万人が生活保護を受けていて、しかも犯罪の宝庫で、その犯罪にも大中小下とあって、マリファナの常習者くらいで犯罪者扱いされちゃあ、たまったもんじゃないという雰囲気の町だそうだ。
また、「犯罪者の宅間守が四回結婚して、100人とセックスしているというのは、どういうことなんでしょう」と会場から質問があった時は、日名子さんが、
「まあそんなのは犯罪者とかそうでないというのとは関係ないんでね。私も三回離婚して、もう100人じゃきかないくらいやってますが」とか、わけのわからないことを言ってて可笑しかった。さらに、
「そうした犯罪者を人非人とか、けだものって言いたくない。人間だからこそで、とおっしゃってたのを、もっと深くお聞きしたい」との質問には朝倉さんが、
「いや、それは猪が突進して人を殺すのとは訳が違うってことでね」と、これまた皆の期待を裏切るような……。


まぁ、昨日はそんなわけで、サンカ研の面々にもいろいろ会えたが、疲れたので途中で帰ってきた。