猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

母の見舞い。前回行った時は少しよくなったと思ったのに、今回は悪くなっていた。夜中ベッドにつかまりながらひとりでトイレに行って(トイレはベッドの横)転んだとかで、カラダにセンサーをつけられたと言って、落ち込んでいた。昼間でも寝てる時は、クリップみたいので小さい機械につながれて、それを外したり動いたりすると、センサーが作動して、人が飛んでくるようになっているのだろう。
まぁ車椅子から立つ事もままならないんだから、ひとりでトイレに行くのは無謀ではある。
いつもは母も人を呼んで介助してもらおうとするのだが、いつトイレに行ったかすら忘れてしまい、しじゅう呼んでしまうことがあるらしく、そんなときは、
「さっきも行きましたよ」とか言われるので、呼ぶのを遠慮してしまったようだ。
伊藤比呂美の『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』とかには、別の詩人のことばとして、「おトイレにひとりで行けなくなったら死にたい」みたいなことが書いてあったが、トイレにひとりで行けないってほんと悲しいことだ。そんな人はごまんといるんだが、ごまんといるからといって悲しみはやわらがないというか、悲しい人はごまんといるってことなんだと思う。
今日は母は爪ものびていて、カラダもまた以前のように左にひどく傾いていて、ちょっとすさんだ感じだった。
英語の本をとられたという盗まれ妄想も相変わらずで、「お金ならともかく、そんな古い英語の本、誰も盗まない」と言っても納得しない。母にとっては何より大事なのだろうと思うと、微笑ましくも悲しい。
英語の本を母が持ってこいと言っても、父が嫌がる気持ちも少し分かった気もする。
暑いし、私も尋常でなく疲れた。