猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

今日はこれから母の見舞い。



行ったらいつもと違って無表情で、いきなり英語で、また頭のどこかが切れたのではという感じがして、ギョッとした。
どうもここの人に聞かれるとまずいから英語で喋ってると言ってるのだが、それほどの内容でもない感じ。
話しているうち、子供が、
“Do You remenber my name?”
と質問すると、急に笑い出して、
Most difficult”
「パパ(娘婿)の名前は?」には、
“The most difficult”
とか何とか言って、あともなんだかよく分からないが、英語で話していた。
孫の名前は忘れても、私の名前、自分の夫(父)の名前は言えた。
最後の方にやっと日本語になって、「市橋さん」だか「市川さん」だかがどうのと言うのだが、ひょっとしてと思って、「●●さんの旧姓?」というと「そうだ」という。あとで父に確認しても、やはり●●さんの旧姓だった。
記憶は脳にバームクーヘンみたいに重なりたまっていくようで、その新しい記憶の皮の部分がどんどんはがれ落ちているようだ。
母は四歳から六、七歳頃という言葉を覚える大事な時期にニューヨークに住んでいたので、長いことアメリカに行ってなくても、英語は残っているのだろう。





実家の父のもとに行き、様子見がてら、いつものように皆で蕎麦屋へ。
話の流れで夫が父に「そういえばどこのお墓がいいとか希望ありますか?」と聞くと「ない。どこでもいい。死んだら無だ」
と言うから、
「鎌倉霊園(母の実家の墓)でいい?」
と言うと、
「あそこだけは嫌だ」
「じゃあパパの実家の大阪は?」
「そこは遠いから」
……全然どこでもよくないじゃん!!



夫も疲れたろうが、父に関しては幼い頃から痛い目にあってきたいろんな歴史があるせいか、果てしなく疲れた。そのせいか、帰宅後、内臓に空気をぱんぱんに入れられたような感覚がして、心臓が痛くなった。水をのんだらよくなった。