猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

今の家族で幸せだなとつくづく思う。
昨日、人から見ればつまらぬことで精神的に追いつめられ、中高時代の友達に電話した時、
「ぴっかりのとこは子どもも夫もそういうぴっかりを受け入れてくれてて良かったじゃん」
と言われたが、今朝、子どもに、
「ママが元気になって良かった」
とにこにこして言われ、また、昨日は、
「学校帰り、ママにケーキ買おうかと思ってたんだ、元気出るかなって。やめたけど」と言われ、申し訳なくもありがたかった。



夫も私が精神的に元気になるなら何だってするというスタンスで、昨日も「豆腐屋の豆腐が食べたい」と言っていたら、今朝起きたらもう買ってあった。朝の七時台に行ったらしく、できたてだった。



思えば14年前、歯科心身症で、家事が出来ずに実家に一週間ほどいた頃は、家族には厄介者扱いされ、帰りは、
「もう、しばらく来ないでほしい」
と言われたものだ。それは母が冷たいというより、心が低迷している私と一緒になって、一体化して参ってしまって、寝込む寸前に追いつめられてしまうからなのだと分かるが、辛いことだった。



夫は私とは正反対の性格で、
私のこの症状を「大病」と称し、一種、突き放して見ているので、
私にそこまで巻き込まれることもないのだろう。
子どもには小さい頃から苦労を掛けてきた。
親はこういう私に拒絶反応を示したが、それに比べると夫や子どもは受け入れてくれる。
申し訳なくもありがたいと思う。
この14年間、ストレスがあれば歯に出たり、逆に歯科治療で精神が低迷することは二、三度あったが、いずれも14年前ほどに悪化しないで食い止められた自分に少し自信が出て来ている。
小野先生も当時(医科歯科にいた14年前)、
「いちどこれほどまでになった人は、今後、似たようなことがあっても絶対ここまでにはならないよ。対処の仕方を学習しているからね。薬もあるし」
と言っていたが、本当だった。



もしかしたら私は、小さい頃、親に対して叶わなかった「ここまでやっても、ここまでダメな私でも受け入れてくれている」という作業を繰り返しているのかもしれない。
ダメな私でも受け入れてくれる。
その安心感は底無しに深い。
その安心感で、元気な自分が続いていく。

歯医者が怖い。 歯の痛みは心の痛み? (平凡社新書)

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