猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

勉強(取材)旅行

maonima2013-10-24

10/20〜23生まれてはじめて九州に行ってきた。
ここのところ、『古事記』の仕事が多かったので、九州はぜひ行かなければと思いつつ、なかなか行けずに、今に至っていたので、とても楽しみにしていたのに、
カメラを忘れたので、写真は携帯で撮った弥栄神社の緒方三郎の碑のみとなった。
緒方三郎は『平家物語』巻第八に出てくる人の子孫で、父方の先祖は蛇なのだった。



20日は長崎。
グラバー園とか大浦天主堂
夜は出島へ行って出島資料館(予想外に良かった)。
長崎新地の中華街は横浜のと比べるとあまりにしょぼく、大学のサークルで一緒のB君は、長崎の中華街のほうが横浜より凄いんだと言ってたのが嘘だと分かった。横浜出身の私に妙な対抗意識を燃やしていたのであろう。しかし味はうまかった。
夜は長崎泊。

21日は長崎の原爆資料館。小学生が「怖い怖い」と泣いていた。私も涙が出てきた。
夕方、太宰府天満宮へ行って、夜は博多泊。
天神様へのお願い事に「店長が移動(ママ)しますように」というのがあって笑った。異動を移動と書いてる時点で、ダメなのでは。


22日。博多は人々のマナーが悪く、これなら東京や横浜のほうがずっといいと感じた。
とにかく歩いていても人をよけないというか、ぶつかってくる。
町は都会でも、人は田舎者なのだろうか。
昔、博多出身のサークルの先輩(イケメン)が、「博多の都会度は横浜の比じゃない」とか言ってたのは、横浜出身の私に妙な対抗意識を燃やしていたのだろう。たしかに都会ではあったが、ここまで悪印象な町は珍しい。
博多から大分へ行き、駅周辺を数時間うろうろ。弥栄神社はさびれていたが、ビビッとくるものがあった。

夜は由布院泊。
由布院へは大分からゆふなんたら号というのに乗ってったのだが、途中、鉄オタというのだろうか、田んぼにカメラを構えている人たちがいっぱいで、こんな毎日出ているような電車を撮るなんて物好きだなと思っていたら、由布院駅に四時前に着くと、物凄い人がいる。
どうしたのかなと思ったら、七つ星列車とかいう豪華列車が四時に着くという。
それであんなにカメラの人がいたわけか。
七つ星列車から人が降りてきて、バスに乗って由布院の町へ消えていった。
タクシーの運転手によると、ゆふいんは昭和三十年頃に開発された新しい温泉町で、宿経営者のうち地元の人は一割程度で、あとは大手資本だというが、たまたま私らの泊まった山荘わらび野は地元の大百姓の人がやっているそうで、お米や野菜もそこで作っているものが出されているのだとか。
部屋の一つ一つに温泉の露天風呂がついていて快適だった。
しかし冬は凄く寒いらしい。
ゆふいんは昔、太宰府の倉院だったので、院という名が付いているとも聞いた。温泉地として発展したのは最近だけど、歴史はとても古いらしい。少し時間ができたらそのへんのことも調べよう。
駅前の商店街はまるで見なかったが、タクシーの運転手によると、「みんな博多や大坂の資本だから見なくて正解」とのことだった。



23日は宿からタクシーで宇佐八幡と大分県立歴史博物館へ。タクシー代がかなりかかったが、宇佐はこの仕事をしていたら外せない場所であろう、ここまで来たからには行こうということで、行った。
下宮と本宮に分かれていて伊勢神宮のようで、本宮だけ御参りするのは「片参り」といっていけないこととされているとか。
また、二拝・四拍手・一拝とか、御参りの仕方も変わっていた(出雲大社と同じ)。

タクシーの運転手によると、宇佐八幡の近くの大元神社というのがパワースポットとかで、女の人が一人でタクシーに山のふもとまで乗り付けて、登山するのだという。危ないからとタクシーの運転手が「一緒に行きましょうか」と言うと、「いやひとりがいい」と言って登っていくのだとか。
変な人に襲われたりしたら、パワーをもらうどころではないだろうに。
大分県立歴史博物館は、企画展はカッパの詫び状や手のミイラ、山の神の像、常設展は各種仏像など、見どころがたくさん。



とても勉強になった旅であった。
次は大分をゆっくりまわりたい。
そして端島(軍艦島)へ行ってみたい。