snsで、鎌倉殿の話をしてたら、同窓の日本史教師をしている方と、亡き奥富敬之先生の話になって少し盛り上がった。
講演で、奥富敬之助教授を、奥富けいのすけ教授と紹介された話とか、よく色々覚えているなぁと驚いた。
私がすごく印象的だったのは、奥富ゼミの遠足めいた外出で、これは楽しかった。
亡くなって14年になるのですね……と彼女が言うので、今年は瀬野先生も亡くなってさびしいという話になった。
瀬野先生とは、卒業後も抜き刷りを頂いたり、電話を頂いたり、つい去年まで交流していたので、今も記憶が生々しく、母が死んだのと同じ一月、母の死の十日後に亡くなったこともあって、同窓のNさんから知らせを受けた時の驚きは、今もはっきり覚えている。
母は89、瀬野先生は90だから、亡くなってもおかしい年ではないのだが。
母は長く寝たきりだったからともかく、
瀬野先生は去年もとても元気な声だったから、あと10年位は生きるような気がしていたのに。
しかし、元気な時間が長かったのは今思うと幸せだ。
誰しもピンコロと逝きたいのに、逝けないわけだから。
どうすればピンコロできるのだろう。