猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

Twitterから学んだこと 

いいねも自分ルールでダメなら差別であるという言い分、腐という一般的に分かる表現ももっと差別的でない言い方があると、あたかも差別であるかの物言い。

すべては自分たちルールで世界が回っていると考えて、

人の考えも聞かない、本も読もうとしない、対話を試みても、人を見下した無礼な態度で、相手のメンタルをつぶしてくる。

 

これはそれぞれの立場の人の意見に耳を傾けよう、多様性を認めようとする寛容性とは真逆の姿勢で、マイノリティの権利を守ろうとする姿勢とは全く違う。

それこそ人をレッテル貼りして差別につなげる姿勢。

物凄いタコ壷、ムラ社会での集団リンチ……ネットという現代的な場所で、前近代の悪い部分が展開されている。

つまりこうしたことは、ネットのない昔から絶対あったはずで、ただ、今は「集団」の中に不特定多数の有象無象がいて、数が膨らんでいるというのが違いか。

ほんとうに、よってたかって、これでもかこれでもかと、襲いかかって来ましたからね有象無象が。

 

私をたたいて、どんな差別が解消されますか。

どんな社会的意義がありますか。

フリーでやっている、しがない古典エッセイストをたたいて、楽しいですか(彼らは、だからこそ、やっているふしもあります。反撃しても大したことがない相手だと。要するに、なめているんですよ)。

一言で言えば、今回のことは、崇高な思想も、差別との戦いもへったくれもない、単なる「弱い者いじめ」です。

 

 

 

火のない所に油をまいて、火を付けて燃えあがらせるというようなことが、あるんだな、と。

 

 

 

芝崎さんも書いてるけど、これじゃあ戦争もなくならないわけだ。

しかし、思わぬ人が助けてもくれて、色々な人の側面を見たことだった。

 

発端はこれ。ここから集団リンチが始まった。ここの44の引用リプを辿っていくと、最古から二番目の人のツイート以降、ひどくなって、各方面からの二次加害、三次加害……へと燃え広がったのだった(引用リプはTwitterにログインしていないと見られない)。

 

 

「どろあし」「せっぱつまりこ@セゾンのくらし大研究さんで執筆始めました」というのもひどかった。地方差別って絶対、別の人と勘違いしてるし。

本当に、言ってることが雑。

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私はこの人たちのことを絶対忘れない。

実名で言ってきた人たちよりも、こうしたおかしなハンドルネームで姿を隠しながら叩いてくる人たちのほうがずっと卑怯だからです。

こうした人たちは、彼らにとってのインフルエンサーが誰かに批判的なことを言うと、その尻馬に乗って、ここぞとばかり攻撃してくるのですね。

ほんとうに、よく見ず知らずの人のことをそこまで悪し様に言えるものです。

今回のことで、私はいささか人間不信になりました。

同時に、ちゃんと見ていてくれる人は見ていてくれるのだ、ということも分かったので、それはとても良かったのですが。

トラウマというのか、これらの輩に投げつけられたことばが、ふと頭に浮かんで、どす黒い気持ちになることが凄くあります。

言ったほう、いじめたほうは、忘れても、やられたほうは決して忘れることはないのです。