猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

性=政=生の時代

平安時代外戚政治って、いってみればセックス政治ですよね。

娘の性で、一族繁栄を目指してる。

性のパワーを凄く重要視していた。

 

 

で、紫式部道長は性関係ありやなしや、で、「なし」って言う人もいるんだけど、

私は「有り」だと思ってる。

理由はたくさんある。

今時間ないから、備忘録的に、自分に分かるメモとして並べると、

●当時の性というのに対する考え方の現代人との違い、

紫式部日記で、道長の夜の訪問を受け、拒んだふうに書いてるけど、当時のことを思うと、それっきりっていうのは考えにくい。

源氏物語での召人の扱われ方。

うつほ物語にも召人は出てくるけど、源氏物語の召人は、中将の君、木工の君等、それぞれ固有名詞があって、とにかく存在感がある。

なりきり能力の強い紫式部だから、べつに実体験じゃなくても、書けはするだろうが、とくに、道長とかのためじやなくて、自分のために書いたと思しき宇治十帖での召人の重要性。

●召人がさほど珍しい存在ではなかったこと、

紫式部日記枕草子で、女房の局の前を眠れぬくらい男達の沓音がしてると書かれてるくらい、女房と男達の関係は普通だったこと、

紫式部日記で女房たちをあげつらったあと、“それらは、殿上人の見残す、すくなかなり”とあって、ちょっと良い感じの女房は殿上人と性関係を結んでいたこと、

●あとはずっと後世の記録で、それを証拠にするのは憚られるけれど、南北朝時代系図尊卑分脈にも、紫式部は“御堂関白妾云々”とあって、そういう言い伝えがあったこと、

等々考えると、関係がないと思うほうが不自然な気がするのだ。

 

 

ただ、ちょっと引っかかる点があるとしたら、もしも紫式部道長の召人であったとしたら、紫式部の性格からして、このように堂々と(関係はないにしても)際どい歌のやり取りを日記に書くだろうか、という疑問はある。

まぁでも、『蜻蛉日記』みたいのもあるし……。

現代の感覚で、当時の性関係を推し量って、ないと決めつけるのはどうかなと思う(ある、と決めつけるのも、また同様だが。結局は分からないと言ったほうが誠実かもしれない)。

 

召人についても書いてます。↓