道隆の妻高階貴子は漢字などを見事に書くので掌侍となり、道隆に見初められました(栄花物語巻第三)。娘定子も漢文を読みこなし、女房の清少納言は漢文知識を駆使した応対によって評判に。
「定子サロンは「漢文の知識」、学問の力によって支えられていたのだ」……拙著『源氏物語の教え』p71
花山帝は忯子を“いとあまりさまあしき”まで寵愛、通常は妊娠三月で内裏を退出するのに五月まで留めたあげく、退出後も「宵だけでも」と求め、忯子が参内すると“夜昼”食膳にもつかず“ものぐるほし”までに寵愛。忯子は衰弱して妊娠八月で死んでしまいます(栄花物語巻第二)。
『小右記』によると妊娠七月で。いずれにしてもミカドの過度な寵愛……房事過多……で命を縮めたようで、源氏物語の桐壺更衣がほうふつされます。
また、大河の道長、心優しい人に描かれてますが、
栄花物語でも、
「“人に恨みられじ”、女に薄情だと思われるほどつらいことはなかろう」
などと思って並々ならず思う人にだけごくお忍びで情けをかけている、と描かれています(巻第三)。
人に恨まれて、変な噂を立てらることほど怖いものはありませんからね……。