猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

クリスマスツリーに鳥居、の謎

maonima2008-11-28

『丁寧に読む古典』という本がさっき送られてきた。
小松英雄著。笠間書院から。1900円。293ページ。
冒頭から、
「いまだに古今集の注釈書はダメです」
という説を紹介しし、
「痛いところを衝いている」
「『古今和歌集』の和歌だけにとどまらない、もっと根の深い問題」
と著者はいう。




 プレスリリースによれば、この本は、
「通行の注釈書には誤りが多く信用できないことを指摘し、自分で読み解くこと、自分の感性を信じることの大切さを説きながら、その方法を示します」
とのことで、『源氏物語』の注釈書に、時に似たようなことを感じる私としては、大いに興味が湧く。
 もちろん著者自身は、注釈者の苦労も重々承知で、
「注釈書は、その作品の隅々まで対象にしなければいけないので、血の滲むような努力が必要でしょう」
としながらも、
「しかし、ひとつの仕事はつぎの仕事によって更新され、それがさらに更新されるという過程の積み重ねによらなければ水準の向上は期待できません」
と、書名通り、古典を「丁寧に読む」ことを提唱しているのだ。早く読みたいよ〜。


 私自身としては、学者たちの「血の滲むような」(このコトバ、わたし、あまり好きありませんね)校閲作業、註釈作業があるからこそ、我々も古典が読めるんだし、こうした本も出来るのだと思うが、分野や立場の違う皆で教えあって、それこそ昔よくいわれた「学際的」に交流して、より「ダメ」でない解釈というのを、目指していけたらいいのにと思う。
 その意味で、私が元気なうちに、教えを請いたいのが催馬楽研究家の木村紀子氏。
 少し時間ができたら、受講して、もっと贅沢をいえば、意見とか交換できたら。そのためにも今まで以上に楽しく学んで、自分の頭で考えていくようにしよう、というのが目下の私の思い。



 写真は、タイの和ぼっちゃまが私ら友達に送っているメールマガジンから、和ぼっちゃまの許しを得て。
 和ぼっちゃまによると、日本でいえば「銀座」にあたるチットロムという場所の、セントラル・ワールド・プラザという施設に飾られている六メートル以上もあるツリー(11/27写真参照)。
 ここになんとエッフェル塔や風車に混じって、鳥居があしらってあるのだ。
 なぜキリスト教のお祭に鳥居?
 キリスト教のお祭りだからこそ、それを信仰しない人びとにも気づかいして、あしらってみたのか?
 エッフェル塔も風車もSLも、フランス人にもオランダ人にもイギリス人にも、
 つまり出来る限り、多くの違う価値観をもった人に配慮したのだろうか。
 意見の違いを尊重するがゆえに?

 私なら、なるたけ本場っぽくしたいと思うところだろうが、ここまでくると……。
 それによくみると、鳥居にはPanasonicって書いてあるの。
 松下提供?