猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

平安時代にひまわりが?の不思議

藤袴」巻のさいごのほうに、玉鬘の歌が出てくる。
“心もて光にむかふあふひだに 朝おく霜をおのれやは消つ”
 この葵を、どの注釈書も「ひまわり」としている。
 小学館の古典文学全集も新編古典文学全集も、いまのところ『源氏物語』の一般向け注釈書の最新のものである岩波の新古典文学大系も、
「今日の「ひまわり」にあたる「からあふひ(唐葵)」」
としている。
 もちろん谷崎訳も玉上注釈書も「ひまわり」。
 が、平安中期にひまわりがあったのか?
 「唐葵」イコール「ひまわり」なのか?
 という素朴な疑問はぬぐえない。


 この葵を唐葵とするというのは、別にいい。
 唐葵は、『枕草子』六十四段にも、
“唐葵(からあふひ)、日の影にしたがひて傾(かたぶ)くこそ草木といふべくもあらぬ心なれ”
とあり、新編日本古典文学全集の注は「たちあおい、はなあおい」、角川文庫の注は「向日葵(ひまわり)」とある。
 立葵アオイ科の越年草、ひまわりはキク科の一年草で、別物だ。
 唐葵が立葵であるとすれば、ひまわりであるはずもないのだ。
 おかし過ぎると思って、念のため、『決定版生物大図鑑』園芸植物1を調べると、今のひまわりが日本に伝来したのは「江戸時代の寛文年間」というではないか。
 『枕草子』の唐葵も『源氏物語』「藤袴」巻の葵(これも「葵」巻の葵なんかと違って唐葵ではあろう。ちなみに「葵」巻の葵はフタバアオイで、ウマノスズクサ科)もひまわりのはずがない。
 立葵の類いだろう。



 ちょっと調べれば分かるようなこんな単純な間違いがなんで受け継がれたのか、理解に苦しむが、似たような例としては、「須磨」巻で、
“風に当たりては、嘶(いば)えぬべければなむ”
という源氏のセリフの出典が、『文選』の“風に依り”を改めて(アレンジして)引いたと、湖月抄も古典大系も古典文学全集もしていたものが、私はたまたま『玉台新詠』を読んでいたので、こっちでは“風に嘶き”とあったのを知っていたから違うのではと思っていたら、最新の新古典文学大系ではちゃんと『玉台新詠』が引かれていた。



 ひまわりは新古典文学大系でも直されてないから、『源氏物語』の訳とか解釈の書の類いでは、私が初めて直すことになるのではないか。
 しかしこれは、玉台新詠の例なんかよりもずっとずっと単純なことだから、校注者でない読者はとうに発見している可能性は高い。
 それにしたって、
 なにごとも「?」と思ったら、複数の注が同じだからといって鵜呑みにせずに、ちゃんと調べることの大事さをつくづく感じたことだ。