ある美容形成外科医によると、
>鼻の形を執拗に気にする男性患者は、醜形恐怖症など、ちょっと精神的に病気の人が多い。
らしい。
としてマイケル・ジャクソンの名をあげてた。偏った記事だったのでURLは挙げないが、マイケルの肌が白くなったのはVitiligoって皮膚病のためだし、鼻その他を細くしたのはおそらく醜形恐怖のせいだろうし、いろいろ考えると、マイケルが白人になろうとしたというのはマスコミの広めた分かりやすい嘘だろう。
そりゃ自分たちが差別されてりゃ「白人になりたい」と思っても不思議じゃない。
もしかしたら子どもの頃などに「白人になりたい」とか言ったりしたかもしれないけれど、あったとしても、そのていどのことで、「なろうとした」ってことはないと思う。
しかし彼がもし白人だったら、ここまで、マスコミに無責任に、徹底的に、おちょくられただろうか?
こうしたゴシップ的なもろもろも三百年も経てば「マイケル享受史」として研究対象になって、その作品はもっと純粋に楽しまれるようになるんだろう。
うちの子がすでにそう。
「マイケル? あああの変な人」という認識しかなかったうちの反抗期のガキンチョが、マイケルの「ビデオ・グレイテスト・ヒッツ〜ヒストリー」を見せたら食い入るようにして、CDをi podに入れて聞き始めてる。
そういえば『ブス論』等にも書いたが『源氏物語』の大君って醜形恐怖っぽい。
詳細に醜貌が描写される末摘花といい、なんかこの物語の作者の周囲に醜形恐怖の人がいたか、作者にそのけがありつつ、しかもそれを客観的に見る自分もいたのか。私も十年程前、ひどいストレスで歯科心身症を発症した頃、そのけが出て、それで『ブス論』書いたようなところがあるから。そういう人は極端な醜にも美にも、そこに渦巻く感情にも、ひどく関心をもつんだよね……。
音楽評論家の湯川れいこによると、マイケル・ジャクソンは自分は皿に盛られたパスタと感じ、人々は頭の上からどんどんバスタを取っていくような気がしていたという。
子どもはそうじゃないというんで、心を開いていたのだと……。
なんだか『源氏物語』の光る源氏を思い起こさせる。
源氏は、葵の上と六条御息所の板挟みにあった時、"何心なき"、無邪気な紫の上を愛した。
「若菜」上下巻では、耐える紫の上をいたわしく思いながら、"何心"なき女三の宮にしだいに心傾いていく様が描かれていた。
結局、女三の宮はあまりにぼんやりなため、他の男に犯され、男からきたラブレターを不注意にも夫の源氏に見られてしまうというへまをやらかして、源氏は裏切られた気持ちになるのだが。
大勢の人々に愛されるといえば聞こえはいいが、人々はその人に近づけば気持ちがいいものだから、心身共に癒され元気づけられるから、近づくわけで、それは極論すれば一種の「搾取」なのである。もちろん彼らは源氏にそれぞれパワーを与えてもいるのだが。
源氏は、愛されて、人々のパワーを受け取ると同時に、自分が「搾取」されることで、疲れていたのかも。
だから紫の上、あるいは女三の宮のような子どもに心惹かれるのだ(女三の宮には初めのうちは明らかに幻滅しているのだが、彼女が二十一歳頃になると、六条院の平穏に心を砕いて疲弊していく紫の上と同等に、"何心"ない女三の宮の心身をも欲するようになってきたのは物語を読めば明らか)。
スーパースターは、ふだん激しくパワーを受け取ったり搾取されたり、極端なエネルギーの「交換」をしてるから、私生活では"何心なき"人を欲するのかも。