最近、母の見舞いで外出が増えているため、勢い、外食や店屋物が多くなる。
土日の叙々苑はいつ行っても混んでて、みんなワインとかビールとかじゃんじゃん頼んでいるのを見ると、不況なんて貧乏人をだまして安くこき使ったり、少ない預金には金利を払わないようにするために金持ちがついてる嘘じゃないの?て感じる。
まぁそういう金持ちは叙々苑には来ないだろうが。
入居金五億の聖路加レジデンスが成り立つところとか見るとそんな気がする。
貧しさの連鎖をどうにかしろ、ってよく言われてるけど、私は金持ちの連鎖をどうにかしたほうがいいのではと思う。
働いて得た収入に対して税金多くかけるより、親から受け継いだ土地とか株券とかの不労所得にもっとかけりゃあいいのにと。
こないだは、ちょっと酔っぱらった斜め向かいの中年男性客が大声で、
「自分の金でこういうものを食えるって幸せだなぁ」
と叫んでいた。
たしかに。
仕事があって、お金が入って、叙々苑で焼き肉食べるのは、月に一度ていどのささやかな贅沢で……ってな人が、考えてみれば、ここに来てる人の大半を占めているのかも。
で、そういう人はこのご時世では、やっぱし幸せ者の部類だろう。
最近じゃあ、わたしゃ、口からものが食べられるってだけで幸せだなぁと思ってしまうし。
一方、隣の客は三十代後半の男と、その両親らしき老夫婦で、息子らしき三十男ばかり喋ってて、老夫婦がそれにあいづちを打っているという、通常の親子関係とは逆みたいな図であった。
「最近の熱海、行ってごらんよ。ひと頃の沈みようが嘘みたいに活性化してるよ」
と男は言ってた。
我々が夏に寄った時はそんな感じはしなかったが。
こんだけ偉そうに言ってるんだから支払いは当然この男だろうと思っていたら、父親らしき老人が払っていた。
「思いなしか、親が持て余しているような感じに見えた」
と夫は言ってた。
幸せの中にも不幸はある。
その逆も可也。