猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

昨日は母の見舞い。
病院からはそろそろ出て行ってほしいと打診されているが、母は案外、ここが気にいっているようで、
「なにか嫌なこととか、困ることある?」
「それがないのよね」
「食事も出てくるし、病院は何かあっても安心だもんね」
「そうそう」と。
爪も綺麗に切られているので、指摘すると、
「なんか奇特な若い男の人がいて、切ってくれるのよね」
と、嬉しそうだった。
まだ、研修の男子学生が来ているのだろうか。


しかし、ベッドの拘束具について、母は、
「これが一番嫌なの。されたことあるの。まったく人のこと何だと思ってるのかしら。冷凍豚かなんかみたいにされてね〜」
と、いかにも面白可笑しく話すので笑うと、「受けたこと」が嬉しかったのか、にこにこして繰り返していた。
「こんなのされたらナースコールどうするの」
「棒くれるの。背中掻くみたいな」
「孫の手みたいな?」
「そう。それで押したらどうかって。今も寝る時は落ちないようにって、ベッドから出れないように、こうして柵をされてるの。トイレの時はボタンで呼ぶんだけど、何度も呼ぶと、また?って嫌味言われたり」
「ふーん。でも相手は仕事だから、呼んでいいんだよ」
「うん。すごいデブの女の人があたしを抱っこして、車椅子に乗せてくれるのよね」
と、「すごいデブ」のとこでまた笑ったら、「すごいデブ」を繰り返していた。
二度の脳出血認知症の進んだ母だが、自分の話が「受ける」と嬉しいらしく、受けた路線を繰り返していた。
うちの子ののんだお茶を母に回そうとしてから、母が昔からこの手のことには潔癖症だったことを思い出し、
「あ、人ののんだのはダメ?」
と言うと、
「この中でバイ菌が一番少ないっていったら●●ちゃんだもん。平気」
と言いつつ、
「紙コップに移して」
と命じているのが可笑しかったが、紙コップのほうが飲みやすいからだろう。
しかし最初、病室に入った時、自分の孫であるうちの子に、
「この方はどなた?」
と聞いてて、ひやりとした昨日ではあったのだが。




父はぼけてなくても、昔から相手の反応お構いなしに話す人なので疲れるのだが、母はぼけてて話が繰り返しになっても、さっき言ったことも忘れてたりしても、こちらの反応を見て話をする能力が残っているので、楽しい。
いつまでもこういう会話ができるといいのだが。