maonima’s diary(大塚ひかりの犬・猫・人・他)

2005年、はてなダイアリーに始まり、今に至る

「変わる」

手塚治虫の「火の鳥」で、サルタヒコって男がいたと記憶します。時代の流れとともに、サルタヒコはさまざまな姿で登場するんですが、印象的なのは鳳凰編の我王。我王は醜い上に人殺しはするわ、とんでもない悪人で、対照的にイケメンで優等生的な茜丸っていう人がいる。

ところが我王は苦しみの果て、「変わる」んです。

一方の茜丸も「変わる」。堕落してしまうんです。

もともとの位置としては、我王は茜丸のはるか下にいたのが、生きていく中で強い人に生まれ変わっていく。

「生きるって修行だなぁ」「人は変わるんだなぁ」と深く心に刻まれました。

 

 

私も自分の気持ち的には、我王に近い出発点だと思っています。

毒親に育てられ(自分も毒親だと思う)、見捨てられるのが怖くて人にすがりつき、自分で自分を守るしかないので自己中な言動もして、わたしのメンタルの弱さに、呆れて去って行った人もいる。

去らないまでも、初対面で見限られたと感じたことも少なくありません。

もともと自己評価が低いからそう感じるのかもしれないけれど、仕事でもよく打ち解けて友達が増えていく人がいる中、私は会うとがっかりされ、友達ができにくい気がしてます。

他人との距離の取り方が苦手で、自分がどんな位置にいるかぱっとつかめない。

それで初対面の人に場違いな自分語りをしたり、妙に図々しいかと思えば、遠慮し過ぎたり……私も父同様、発達障害的なところがあるんですよね。

 

 

そう思うと、悲しいけれど、でも、そんな私も「変わる」ことができるんじゃないか。

と思えることは一種の希望です。

「ありのままでいい」とよく言われるじゃないですか。

だけど、「ありのまま」じゃダメな時、「ありのまま」じゃ苦しい時もあると思うんです。

むしろ私は自分が「変わる」ことができる、自分で自分を変えることができると思うほうが、元気が出る。

 

見限られてもいい。

好かれなくてもいい。

というのは嘘で、

そりゃ、好かれたいし、一目置かれたい。

でも、それがダメなら、自分だけでも自分を好きだと思えるようになりたい。

最近、少し好きになってきたのはひょっとしていい傾向かもしれません。

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