『万葉集』の取材受けました。
「週刊プレイボーイ」no17では『万葉集』の特徴であるエロについて、歌の実例とともに語っています。↓
「週刊ポスト」4/26号では、『万葉集』の「人妻」について語っています↓
どちらも『本当はエロかった昔の日本』で、「『万葉集』の「人妻」の謎」について書いたため、きた取材です。
『万葉集』の大半は色恋歌。
色恋を重んじる日本の国柄が浮き彫りになっています。
「ハルメク」五月号掲載の「スキャンダルで読む百人一首」29は凡河内躬恒。『無名抄』には貫之と躬恒の優劣論が載っているのですが、その結末は……。⇒https://magazine.halmek.co.jp/special/feature-201905/ …
シバが年取って、筋力が弱り、頻尿になってるから散歩も一日三、四回(一回は短い)になってて、長い外出も無理になってる。
娘がいればそこらへんもフォローしてくれただろうが……
犬を飼いたい! どうしても飼いたいの!! お散歩もするから!!! と言ってた娘、今はエストニアに住んでいるから、ほとんど全部の散歩は私なんだな。シバも歩かなくなってしまったから、散歩といえるほどの散歩でもないが。
<<エストニアにいる娘のブログ⇒
私は小学生のころ、隣の白い大きな犬が庭に入り込んで、追いかけられた苦い思い出(その時、母は容子ちゃんのママとお喋りして、私の姿を見て笑ってた。しばらくして犬を隣家に追いやってくれた)や、家の土手に捨てられていた子犬に追いかけられたつらい思い出(その時は遠くまで行ってしまって、通りすがりのお兄さんに助けを求めたら、お兄さんは「こんな小さい犬」と笑って犬を追い払ってくれたが、あの犬どうしたことか)があるから犬などはなから飼う気はなかった。
なので娘とパパだけで「ペットのコジマ」(今はなくなった)に行ったのだが、
しばらくして電話がかかってきて、
「どうしても飼いたいの。ママも見に来て」
ということになり、その日のうちに見に行ったらもう三ヶ月にもなって大きくなって売れ残ってたシバがいた。店員に、
「奥さんも抱っこしてみてください」
と言われ、恐る恐る抱っこしたら、シバはふるふる震えてて、そっと私の首を嘗めてきた。
それで参ってしまって、
「この柴犬にします。でももう三ヶ月でこんなに大きくなってるし、値引きしてください」
と言ってワクチン代込みで11万円で購入。
帰宅すると、猫のポロ(当時四、五歳)がいなくなってて、
「可愛いから盗まれたのか!」
と、今思うと、財布もカードも盗まれてないのに、猫だけ盗むバカがいるかってなもんだけど、本気で思って狭い家を探したら、シバにおびえてカーテンの後ろに隠れていたっけ。
I macのコードをシバにかじられてつかえなくなったり、大事にしていた民話の本たちもシバにかじられ、ぼろぼろになった。家の壁は猫にやられて。動物たちにぼろぼろにされた家。でも、綺麗なだけの家だったらつまらなかっただろう。
<<シバが来た日についてはこの日記⇒
<<来た頃は猫とどっこいどっこいの小ささだったんだね。1/26生まれで、4/17に売れたシバ。あともう少ししてたら、可哀想なことになる……という思いもあったんだよね、犬苦手な私が決意したのは⇒
きのうのNHKの番組で、興膳先生という方が出てらして、元号はなくしたほうがいいと。
というのも、元号というのはもともと皇帝が空間だけでなく時間を支配している象徴として制定されたもので(て、凄い発想!)、日本でも天皇統治と関わっている、現憲法と矛盾する的なことをおっしゃっていて、興味深かった。
国書から、という政府の希望に対しては、『古事記』『日本書紀』は漢籍からの影響受けまくりだし、『万葉集』は当て字で、漢字に意味がないから無理なんじゃね? という意見が出ていたにもかかわらず、それでも……と粘ったあげく、『万葉集』の第五巻の32首の歌群の序が漢文で書かれていることに注目して、採用となった、ということもはっきり分かった。
かなり無理矢理じゃね?
そうよね。前の日記でも書いたけど、日本語の本来として音が大事なんだから。
スサノヲがすがすがしいから須賀、とかばっかり。
日本語がだじゃれ文化になるのも、こういうところからきている、と、私は書いてきた。絶版になってしまいましたが……。↓
興膳先生の本。これから読んでみるつもり。↓
それから、斯波義信っていう戦国武将みたいな名の人も出てきてた。
昨日の新聞(朝日新聞2019.4/2朝刊)今回の元号制定に関しては、中国地方の戦国大名の一族の末裔が関わっていたともいい、てことは毛利の関係者? てことは関ヶ原では西軍!(石田三成方)。
候補の一つとして出ていた「豊楽」(豊臣が鐘の銘につけた「君臣豊楽〜」ってやつ)はもしやこの方が……など、妄想が広がりました。
しかし、こんなに極秘にする必要あるのかね〜〜。
それこそ、時を国が支配するみたいで、問題じゃね?
興膳先生、名前も素敵だし、私が編集者ならすぐに原稿を依頼しに行くな〜。
新元号、決まりましたね。
“令和”。
『万葉集』巻第五、大伴旅人の家での宴会で詠まれた梅を賞でる歌群の序なんですね。
“初春令月、気淑風和”
という。
令和ってことばがあるわけではなく、ここからピックアップしたんですね。
令と和なら、ほかにもありそうだけど。それこそ漢籍にも……。
風和もいいなぁと感じますが、風に飛ばされそうだものね。
ただ、元号っていうのはもともと中国のまねですから、毎回、漢籍を典拠にしてきたわけです。
それを今回、はじめて日本風にしたみたいだけど、梅花を賞でるっていうのは中国的なんですよね。
元号に使ってる漢字がそもそも中国由来なわけだし……。
『万葉集』の歌だって中国の影響受けまくりなんですけどね。
日本的を追求するなら、元号もひらがなとかカタカナにすればいいんですよ。
とも思うけど、やっぱ漢字がビシッとくるのは、ずっと漢文で書かれたものが正式だったからかな。
まぁ日本の古典文学を典拠にするっていうのは、古典エッセイストとしてはちょっぴり嬉しいです。
なにはともあれ、もったいぶってたおかげでお祭り騒ぎになって、良かった良かった。
(安の字がなくて良かったと言う人もいるけど、私は安の字あってもいいと思ってた。むしろアベさんとかぶるからって外すってのもどうなの? あと、伝統伝統いうアベさんだけど、今まで千三百年以上漢籍からとってた元号を、日本古典から取ることにするって、伝統を破壊していることにはなりはしまいか、とか。なんで急にそうしたのか説明もないし、平成の時と違って、いろいろ引っかかる今回ではある)
「『万葉集』の「人妻」の謎」所収↑
2013-02-22 (再び、5)こういう時は、幼児番組
さてところで、
心因性の歯痛にしても腰痛にしても胃痛にしても、
痛みが癖になってしまっている、神経回路が覚えているのを断ち切るには、手っ取り早いのは薬でしょう。
14年前の私にはSSRIが処方されました。それと補助的に抗不安薬。
SSRIは効くまでに三週間くらい、副作用がありましたが、効き始めると体の違和感や緊張・痛み等が取れ、前向きになるわ、自分の人生の中でかつてないほど元気になったのを覚えてます。
他人から見た症状が以前よりは軽いのと、症状が出てからすぐ小野先生とこに行ったため、先生の判断でそういう処方になったのでしょう。
私としてはちょっと物足りないし、厄介なのは、体に出る痛みや違和感のきつさです。
けれどもそれを気にしていると、ますます悪化するという仕組みなので、しんどいながらも、アクティブに仕事や家事をこなすことが回復のカギになってきます。
その時、効くのは、不安症仲間オススメの動物番組とか、犬猫とふれあうのもさることながら、今回、いいと痛感したのは、BSのDライフなんかで朝やっている、
英語の幼児番組
これはいいです。
そもそも幼児番組は、精神科に行くほどではない、しかし精神的に落ち込んでいる、頭では分かっているのに体が起動しない、というような時、そのバカバカしさと素朴な面白さに心癒されるものなのですが、これを英語でやられると、字幕を見ながら、ことばを聞き取ろうと集中する。そこがまたいいんです。
落ち込みがひどすぎる時は、テレビなど見るどころじゃないとは思うんですが、あるていど動き回れる時、でもやる気が湧かないという朝のウオーミングアップには最適。
バカバカしさと、集中力を要するところがいいんですよね。
ちょっぴり英語の勉強にもなりますし。
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以上、五回にわたって六年前の日記を公開しました。
こうしてみると、私もたいへんでしたね〜〜。
今はこのころよりずっといいです。
二十年前の発症時と比べれば雲泥の差。
で、一つ言えることは、かみ合わせの違和感や口腔内の違和感も非定型歯痛も、一進一退ありながらも、必ずましになるということ。
ましになるために大事なのは、「気づき」と「とらわれをなくすこと」です。
「気づき」というのは、この歯の違和感や痛みは、脳の誤作動によってもたらされているものだと気づくこと。
痛くなったとしても少なくとも一週間は様子を見ること(もちろん、ズキズキの激痛が続けば歯医者いかないとダメですが、それも町医者よりは医科歯科などの大学病院がいいです。歯科心身症かな? と思ったら、大学病院です)。
「とらわれをなくすこと」はとても大事で、歯のこと以外を考えよう、集中しようと思うんではなく、
歯のことが気になっていても、それでも目の前のなすべきこと……家事や仕事……をするということが大切なのです。
気になることをなくそう、消そうと思っても無理だし、そう思ってるうちはまだまだなのです。
ここまでくるのに時間はかかりましたが、とにかく間違いなく言えることは、一進一退ありながらも必ずましになる(良くなる)ということ。それには、症状があったとしても、日常生活を送るということ、これに尽きます。
いまこの症状で悩んでる人は、なので、死のうとか思ってるかもですが、そういうことはやめたほうがいいし、そこまでの勇気もないのであれば、とりあえず大学病院とかいって、その先生が信頼できそうな感じなら、出された薬をしばらくのむほうがいいです。
最初はねむい、だるい、便秘、その他もろもろの副作用がきついでしょうが、死にたいと思うくらいならのめるかと。
この症状で一生薬をのむということはまずないので、数年〜十年位のむ覚悟で、そのうちのむのを忘れたら、それに任せて減薬、という感じではないでしょうか。