猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

愛は怖くない

 「和楽」10月号を見た。
 林真理子の『源氏物語』が載ってる。
 六条御息所が語る、という形の『源氏物語』であった。
 面白い!
 「語り」という『源氏物語』の形をちゃんとふまえている上、『源氏物語』の底流にある「怖さ」と「毒」、光源氏をも残酷に傍観し、時にぶざまな光源氏、嫌らしい光源氏を描く作者の立ち位置が凄く現れていて、『読み違え』とか『窯変』とかもそれぞれ別の味があるけれど、今まで読んだ『源氏物語』を小説化したものの中ではいちばん面白かった、林『源氏』はまだ冒頭の段階だというのに。
 ポニョの日記のところで、わたしは「愛はホラーである」と書いたけどhttp://d.hatena.ne.jp/maonima/20080812、まさに、『源氏物語』は愛はホラーを地でいく物語で、林真理子の『源氏物語』は、そんなホラーな愛の『源氏物語』を、すごくよく描けていると思う。
 こういうのこそ、さすが小説家と思う。



 『源氏物語』はなんで多くの人の心をここまで惹きつけるのか、よく聞かれ、いろいろ答えてきたけど、一つには、
「『源氏物語』は怖いから」じゃないか。
 『源氏物語』は、はなから、桐壺帝と桐壺更衣の関係によって男の愛の怖さを描き、六条御息所のあたりで女の愛の怖さを描きして、明石一族や浮舟のところでは親の愛の怖さを描いているとも言える。
 
 でも、『源氏物語』に描かれる愛は「エゴにもとづく愛」で、本当の「無償の愛」は人を縛るどころか、ひとりで生きていく勇気を与えてくれる、怖くないものだ。だから愛の怖さばかり描く『源氏物語』は、嫌いという人も出てくるのでは。
 浮舟が、精神的にひとりで生きていこうとするラストが、明るい解放感に満ちているのも、疑似家族によって、エゴにもとづく愛と、無償の愛の両方を知った上で、生きていこうとしているから。それが物語ににじんでいるからではないか。

 「無償の愛」と「エゴ」ってのは、私の好きなぐっどうぃる博士がいつも使っている言葉で、博士と『源氏物語』の対談ができたら面白そう。




 燃えるごみの回収の人が、
「久しぶりでしゅね〜」(語句ママ)
と、シバに話しかけている。
 そう。ここんとこ、昼間も家犬だったからね。
 こういうちょっとしたことに癒されるのは、心が弱っているから?
 晴れてるんだもの、犬も虫干しよ。