川上未映子とかのエッセイよむと、やっぱ原文で読んだほうがいいよな古典も、と思う。
訳しちゃうと、消えてしまうものな、弾けるような言葉の生き生きが。
まぁシェークスピア原語で読まなくても、「私はシェークスピア読んだよ」って言うものだし、翻訳でアガサ読んでも「アガサ好き」って言う人は多いんだから、このへん、難しいが。
逆にいうと言葉の綺羅だけで売ってるものは、世界に、歴史に、残らないということか。しかし、言葉の綺羅のあるものは、中身も面白いことも多いと思うから、残るものもあるだろう。
『源氏物語』なんて、その類いではないか。あの、息継ぎできないような文体で綴られる文章はもちろん綺麗で、語られる世界もどんな言語で表現しても、暗くて怖くて面白いに違いないもんな。
先日、シバの散歩の際、近所の八幡神社で祭があったんで、親子三人で足を伸ばしたんだが、すごい人ごみと、祭りばやしの音におびえて、シバの尾は垂れっぱなし。
それをまた「可愛い〜」と寄ってくる女ども男ども。
嫌だった。