『愛のしくみ』とかで、愛と美の至上主義の平安時代の次は力と道徳の時代などと言ってきたが、最近のあれこれをみていると 、いよいよ力と道徳を重んじる武士の時代か?と不安になりつつ、
“武士道と云(いう)は、死ぬ事と見付(みつけ)たり”(以下、“”内の引用原文は岩波書店の日本思想大系『三河物語・葉隠』による)
で有名な『葉隠(はがくれ)』を、「美的」の原稿(中身はまぁ当然ながらいつものように美容のこと)を書くため、先日、再通読。
かなり大部だから今まではとばし読みしていた部分もあったが、今回、隅から隅まで読んでみて、武士道がますます嫌いになった。
だって、あまりに些細なことで人が死にすぎる。
ちょっと人に馬鹿にされたからといって殿中で人を斬り捨てる。それを殿様は、
「人に馬鹿にされて黙っているのは臆病者だ。人を馬鹿にするほうがたわけ者だ」
と評価する。また刀の鞘にはさむ道具を誰かが盗んだからと、その場の一同が、
「腹を切らねばならぬ」
と思いつめたり(結局、犯人は自供。自害を命じられる)(いずれも「聞書」七)。
仏教は人の生き死にについて大事に考えるけれど、
“死程軽きものはなし”で、恥を知る子供や女などは“屁”一つで命を捨てるものだとか(「聞書」八)、
もちろん夫婦以外の性交渉はご法度だから、浮気妻や浮気相手が夫に殺されるエピソードも多い。
なかにはただ男に便所を貸しただけで、夫に浮気したと間違えられ、訴訟になって、
「密通でなくても、女がひとりいるところで遠慮なしに男が袴を抜いで、女も夫の留守に袴を脱がせるとは、密通と同然」
と、便所を貸した妻も、借りた男も、両方、“死罪”を仰せつけられたなんて例もあるんだから、あんまりだ(「聞書」十一)。
こうしたことが、武士の心得はかくあるべしといったふうに、とくとくと書かれているのだ。父帝の后や兄帝の寵姫を寝取って、なお伝説の“光る源氏”とたたえられ、寝取られた女たちも最高の美女として描かれる『源氏物語』を読みつけている私としては、もうすべてが信じられない! おぞましい! の世界。
この本をもとに武士道武士道言ってる人は、こういうのが武士道の実態なのだと隠さず示してほしいものである。
と書いたら、二人の方から『葉隠』は武士道の中では異端というご指摘を頂いた。
とくに山口崇仲間のヲタ嫁りへさんは、ミクシィの日記で次のURLを教えてくれた。
じゃあ武士道を知るには何を読めばいいのかな。
柳生宗矩や沢庵の本とか五輪書だろうか…。
http://www2.saga-s.co.jp/pub/hodo/kaikaku/kaikaku22.html
『葉隠』は昭和初期の軍国主義の時代にブームになっただけと教えてくれた小谷野さんによると、武士道を知るには『武道初心集』とのことなので、さっそく注文。
岩波文庫のと、『岩淵夜話』ってのも読みたいので、それも入ってるとなると、かなり古いけど大日本思想全集第三巻を日本の古本屋で。
写真はこないだの大雨と雷のとき、玄関に入れられ、紐で遊ぶシバ。