猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

めげずに、こつこつ本の宣伝しています。ツイッター⇒https://twitter.com/hikariopopote

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20091228
ここのね、
「早稲田的なもの」
っていうの今見つけて、気になっている。


早稲田的なものって何なんだろう。
普通に考えつく、一般の人が抱きそうなイメージってのは、私が今まで耳にしてきた悪口とかから推測するに、大衆的で、田舎臭く、実はバカで杜撰なところが多いのに、本人はそれに気づいてない、もしくは気づいてないかのように振る舞っているってことだろうか。通俗的・えせインテリ的な。
実態は玉石混淆で、そんなふうにくくれないんだけど。
早稲田って東大の滑り止めになってることが多くて、コンプレックスのある人もいたから、そういうコンプレックスが嫌なのかな。
私は、早稲田が第一志望で、早稲田入った時はすごく嬉しかったからよく分からない。
最近「早稲田的なものが嫌い」って、ほかの人も言ってるのを見て、早稲田ってだけで嫌がられるなら、上智学習院も受かったんだからそっちにしとけばよかったのかな、と思ったりするけど、でも早稲田しか知らないし、今までとくに不満もなかったからなぁ。



そもそも早稲田って、すごいマンモス校だから、一口に「早稲田的」ってくくれないものがあるのに、
どうしてこう十把一絡げにされて嫌われるのかな。
たくさんいるから、だろうか。
なら日大のほうがたくさんなのに、
日大的ってあんまし聞いたことない。
早稲田はなにかのさばってる感があるのだろうか。
あと、ちょっとずれるけど、「日本人的」「フランス人的」って言い方もあるけど、日本人・フランス人てことはたいていは選べなかったりする一方で、
早稲田はたとえ滑り止めでも選んで入ってることには違いないわけで、
そうやって早稲田を選んで入った人が醸し出してる雰囲気とかが嫌いってことなのだろうか。
しかし一般企業に入れば早稲田閥とかもあるのかもしれないけれど、私は早稲田であることで、なんかつながりを感じたことってあんまりないし、早稲田出身の物書きにしても、別に大学から何か影響受けたり、卒業生同士でつながって閥を作ったりってことないと思うし(「早稲田文学」ってのあるらしいけど、早稲田出身の物書きでもほとんどの人が無縁だろうし)、やっぱし「早稲田的なもの」っての、考えてもよく分からない。
もしかして学者の世界だと、なにかあるのかな。
いずれにしても「早稲田的」という言葉は、小谷野さんのブログを含め、マイナスな文脈で使われてるのしか見たことない。



しかし、
「早稲田的なもの」が嫌い……って言い方、絶妙だよね。
「東大的なものが嫌い」っていうとバカの妬み?って思われるし、「慶応的なものが嫌い」っていうと田舎者のひがみ?って思われるだろう。でも、早稲田的なものが嫌いっていうと、なんかインテリっぽい、格好いい感じがするよね。
自分を「高く見せる」ことができるというか。
だから、言ってみたくなるのかな。