猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

瀬野先生が、私の『源氏物語』のお礼に送って下さった「トルコ紀行」(佐世保文化協会機関誌「火の国」39号)を読んだ。
これが飄々とした味があって(と、先生の書いたものに対してこんな上から物を言うような口ぶりは失礼かもだが、気にせずいく)、
歴史学者らしくトルコの国勢と歴史をざっと説明したあとは、“愚妻”と参加したトルコ旅行の様が綴られている。
ちょうど新型インフルエンザの流行時で、企画の中止を待ってみたものの、その気配はないので、キャンセル料を払いたくなさに、
「私もこの歳になれば、たとえ死んでも悔いることはないと思い、『もとより生還を期せず』という特攻隊員の心境で、運を天に任せて、ツアーに参加することにした」とか、
トルコ行きの機内で体調を尋ねる紙が配られ、記入したものの、トルコ入国審査の際、いっこうに回収されないのでトルコ人の現地添乗員に尋ねたところ、
「そんなものゴミ箱に捨てろ」と言われ、
「これで、メキシコ、アメリカ、日本、イギリス、ドイツなどで患者が何人出たと大騒ぎしているのに、アフリカなどの開発途上国からは、患者が発生していない理由がわかった。発生していないのではなく、まったく患者が把握されていないのである」とか、
 添乗員にトルコ石の店に導かれ、本物か偽物か当ててみろと言われ、ツアーに参加していた奥方が判定したが、一つも当てられたものはないのに、
「結局、ツアーのすべての奥方は、店員が本物のトルコ石と称する物を購入された」
「バスの中で、お互い、購入したトルコ石を見せ合っている奥方連中の有様を見ながら、皆還暦を過ぎているのに、子供の頃からあまり進化していないと思いながら眺めていた」とか。
先生はかつてツアーに参加したら、二十代の新婚カップルがいて、話のあわなさに懲りたため、今回は「五〇歳からの海外旅行」をセールス・ポイントにするツアーに参加されていたのだ。参加者は男五人・女四人の九名で、
「勿論、私が最高齢で、一番若い人が、昭和二十三年の生まれ」とのこと。
先生は昭和六年生まれ。
今年、七十九になるのであった。


佐世保随筆集「はまゆう」106号の「良妻賢母」というエッセイも、妙な可笑しさがあった。
史料編纂所時代、同僚の学者と「九州の女を女房にした身の不運を嘆く会」を結成。会員のひとりであるIさんの奥様は海部内閣の官房長官だった森山真弓と同じ学校の一年先輩に当たる方だったが、Iさんはこの奥様に「とてもその全容を活字に出来ない」仕打ちを受けていた。
「要するに奥様は悪妻ということですね」と先生が言うと、Iさんは、
「女房は良妻賢母を校訓とする女学校を優等生で卒業しているのだ。悪妻ではない」と。
 が、「不運を嘆く会」の主要メンバーは今の日本人男性の平均寿命に達することなく亡くなって、Iさんも六十で亡くなった。
可笑しいのはここからで、
「その後の奥様の嘆きようが尋常一様のものではなかった。そこで、私は余計なことかも知れないが、生前Iさんが、奥様のことを酒の肴にして、どのような話をされていたかをお伝えすれば、奥様の悲しみが幾分が薄らぐのではないかと思ったこともあった」
って、そりゃ、ほんとに余計なことなのでは。
「しかし、そのような事は実現しないまま」奥様も亡くなられたというくだりで、読み手としてはホッとすると共に、なにかつまらない、物足りない気持ちにもなるのだが。
こうした悪妻自慢めいたのって、昭和一桁男は好きみたいだな。
うちの父もよく母に受けた仕打ちを人に話していたが、実際はさほどのもんでもないことが多いのだ。






なにげにテレビを見てたら、「田中宏和」って人が自分と同姓同名の人を集め、「田中宏和運動」ってのをやってると知った。
大塚ひかり」も会ができるほどたくさんいたら、同じ名前の者どうしで集まってみたいなぁ。
いないかな、大塚ひかり