猫も羽<わ>で数えましょう(旧「大塚ひかりのポポ手日記」since2004)

一切皆苦の人生、だましだまし生きてます。ネットでは、基本的にマイナスなこと、後ろ向きなことを書くスタンスですが、ごく稀にうっかり前向きなことを書いてしまう可能性もあります。

「ひととき」&ぐっどうぃる博士

新幹線のグリーン車でくれる「ひととき」に、葛原勾当ゆかりの場所を訪ねて大阪と福山へ行った時のことを書いた。
いま出回ってる七月号、
「好きな人の生まれ故郷に行く」ってタイトルで。
「miyako nomura」という人の歯のイラストがとても可愛くて気に入った。


これ書いた時はまだ心身共に余裕があったんだなぁ。
だから引き受けたんだろうけれど。
というか、とてもいい息抜きになったし、書きやすかったっけ。
あ〜、『源氏物語』終わったら、東北とか九州とか、いっぱい行きたい。スキーも。



それから、「美的」宛てに、ぐっどうぃる博士の、
『運命の彼を引き寄せる恋愛の極意』(大和出版)が。
私はぐっどうぃる博士の恋愛相談(ネット)のファンで、一年前、美的の連載で取り上げたことがあったのだ。
今のところこの文が単行本になる予定もないので、以下、全文あげとく。


古典美容道65 恋は男に訊け 大塚ひかり

 「ぐっどうぃる博士の恋愛相談」というのがネットでたいへんな人気を博しているらしい。本も二冊出ていて、最新刊の『あきらめきれない彼を手に入れる恋愛の極意』(大和出版)は、今年(大塚註 2007年のこと)四月二十四日に初版発行なのに、二ヵ月と経たぬ六月七日現在、すでに三万六千部に達している。今はさらに部数を伸ばしているだろう。
 ネットでは、「博士」という呼び名もあって、もはや恋のカリスマ的な存在になっているようにも見えるこの彼、雑誌「NON NO」などで顔を出してもいるようだが、その正体は依然として不明である。卑弥呼が人前に姿を見せなかったせいで、人々の尊崇をいっそう集めたように、博士の正体不明なところもまた、カリスマ性を増しているような気もする。
 博士のプロフィールは、著書によると愛知県生まれの男性で、2000年に生命科学の分野で理学博士号を取得したというていどのことしか分からない。どうやら三十代らしいことは、ネットのどこかに書いてあった気がする。
 この手の恋愛マニュアル本は、アメリカ女性の書いた『ルールズ』など、かなりの売れ筋らしいが、私は今までほとんど読んだことがない。そのせいもあってか、読んでみるとなかなか新鮮で、ちょっとオカルト的なものも感じるものの、かなり説得力がある。
 ぐっどうぃる博士には、「恋愛に苦しむ女性のために開いた相談室なので、基本的に女性の相談しか受け付けない」とか「不倫は誰かが不幸になるので、不倫の相談はお断り」というポリシーがあるのも特徴で、そんなところも女性に人気があるゆえんだろう。
 きわめつけは、本の巻頭に記された博士自身の実験とも言える体験である。
「もう、かなり昔の話ですが、僕は大きな失恋をしました」
 それで復縁のため、さまざまな本を探した末、ある本に出会ったところ、
「ほとんど全ての人は人生を自分で考え、自分で選択しているわけではなく、決められたパターンに沿った行動をしていることに気がつきました」
 これだけなら、多くの人が気づくようなことだと思うのだが、博士が一味違うのは、
「人々が典型的な行動パターンをとっているのなら、それを変える方法があるはず」
と考えて、「独自の視点で『恋愛』を研究し、得られた結果にしたがって、実行し、ついに復縁を成し遂げました」という点。
 まぁ、それでもこれだけなら、それは良かったですねで終わるのだが、彼は、さらに当時身近にいた、恋に苦しむ三人の女性にも、自分の知識を伝えた。
「その知識を使うことで、彼女たちも全てあっさりと復縁に成功したのです」というのだ。



古典にもいる「ぐっどうぃる博士」
 男の立場で、下心無く、女の恋がうまく運ぶようにアドバイスしてくれる男。そんなぐっどうぃる博士みたいな男が身近にいてくれたら。そう願う女性は多いことだろう。逆に言うと、だからこそ、こういう本が売れるのだ。
 が、実は、博士のような男は、ほかにもちゃんといる。といっても千年以上前だけど。
 『伊勢物語』には、こんな話が載っている。
 昔、“あてなる男”…高貴な男…がいた。その男のもとに仕えている女を、“内記”の職にあった藤原敏行が口説いていた。“内記”というのは書記官みたいなもので、文章のうまい者が任命される。しかも敏行は、『古今集』に十八首も歌が選ばれるほどの歌の達人だ。
“秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる”
の作者と言ったら、あ〜あの人と誰しも納得するだろう(しないかしら……)。
 ところが、女はまだ少女で、手紙はもちろん、歌も詠めなかった。そこで、ご主人である例の高貴な男が、手紙のアイディアを書いて女に渡した。どんな内容であるかは不明だが、その手紙を受け取った敏行は「なんてすばらしい!」と感激して、歌を寄越してきた。
「“つれづれのながめにまさる涙河 袖のみひちてあふよしもなし”…所在なくあなたを思ってぼんやりしている私の涙は、今降っている長雨よりもいっそう大量に流れて袖を濡らしています。そんなふうにぐっしょり袖ばかり濡れるだけで、あなたに逢うこともできないなんて…」
 さすがの恋歌だが、いかんせん、女は幼くて歌が詠めない。そこでまたまた例の高貴な男が、女の代わりに詠んでやった。その歌も上出来で、敏行は大事に箱にしまっておくほど恋にのめりこんでいたのだが、実際にこの女とつきあうようになると、やはりどうしてもアラが見えてきたのだろう。飽きてきたというのもあったのかもしれない。
「雨が降りそうだから、今日は行かない。僕が幸せなら、こんな雨も降らないだろうに」
などと、いかにも気のない手紙を寄越してきた。そこでまたまたまた例の男の出番。
「“かずかずに思ひ思はず問ひがたみ身をしる雨はふりぞまされる”…私を思ってくれるのかくれないのか。いろいろ問いただしたいことはたくさんあるけど、そんなことをするまでもなく、我が身の不運を思い知らせるように、雨脚はまさっていくばかり…」
 そう詠んでやると、敏行は蓑や笠を着る暇も惜しんで、ずぶ濡れになって、あわてて女のもとにやって来たという。




恋は見た目が肝心
 ね? とくに後半、敏行が飽きたあたりで、女の代わりに男が歌を詠んでやると、たちまち敏行の態度が変わったというあたり、ぐっどうぃる博士と三人の女のケースに似てるでしょ?
 この話は『古今集』にも載っていて、この高貴な男とは誰あろう、在原業平(825〜880)と明言してある。業平は平城天皇の孫で、『古今集』に採られた歌は三十首。上はミカドの后から、おぼこい姫君、田舎娘、人妻、女房などなど、口説き落とさぬ女はないという恋のつわものだった。そんな達人のアドバイスの前にあっては、さしもの歌詠み藤原敏行も操り人形同然なのも、当然といえば当然だ。
 同時に、『伊勢物語』のこの話は、いくらこうした達人がアドバイスしても、放っておけば元の木阿弥になる可能性もあるってことで、先に挙げたぐっどうぃる博士のアドバイスで辛い恋を幸せにな恋に変えた女たちも、のちのちまでもうまくいったのは三人中ひとり。ほかの二人はまた泥沼に戻ったり、別の恋人と同じような関係を繰り返すことになったという(ぐっどうぃる博士『男が本当に考えていることを知る方法』高陵社書店)。
 そんなわけで基本的には「復縁はあきらめたほうがよい。同じかそれ以上の男性がみつかる可能性は、少なくとも復縁よりは高い」(前掲書)と博士は強調していて、これには二十六で失恋をした私もまったく同感。二十代くらいの若さで、しかも一時はつきあう男がいたほどの甲斐性のある女なら、自分にとってもっといい相手は必ず見つかる。
 それからぐっどうぃる博士がネットの個々の恋愛相談で常に強調しているのが、
「とにかく見た目を磨きましょう」
ということ。それだけ男は見た目に弱い生き物らしい。もちろん、気長で聡明な性格などの中身が最後はものをいうのだが、好きになってもらうには、見た目に惹かれてもらわぬことには始まらない。べつに復縁を目指さずとも、新しい男を探すのにだって、夫と互いに飽きも飽かれもせずにうまくやっていくのにも、仕事をするのにも、清潔感のある見た目を目指して、何の損もない。
 女なら「教養をつけよう」とか言いがちなところを(むろん博士もそういうアドバイスもしている)、何をおいても見た目!というあたり、男の恋愛指南は一味違う。
 業平のもとにいた少女の恋がその後どうなったかは薮の中だが、手紙や歌で男心をつかむすべを伝授した業平のことだ。
「その色のほうが似合うよ。髪はもっとこんな感じにしたほうがいいよ」
などと、見た目に関してもアドバイスしたに違いないのである。