シバはきょうも元気で、冷房のきいた部屋にいます。
そして、そろそろ地球のどこかで、渡部某に関する私の見解を望んでいる人がいそうに思うので、書きますwww
こういう人、古典にもいたかどうかでいうことでいうと、います。
まず美女がトイレで大便しようとしていた時、見初めた神がいます。でもふたりはトイレではしていません。
セックス依存症の人はどうかといえば、謙徳公(藤原伊尹)の家集など読むと、世界中の女とやりたいみたいなこと言ってて、笑うんですが、だけど彼はいちど関係した女は、自分から捨てないという奇特な精神の持ち主で、今回の件の人とはまるで違います。
そもそも一夫多妻だから違うということもあるものの、今回の件は、こういうのとは違うと思うんです。
光源氏が、夕顔の身分を低いとみてとって、廃院に連れ出してセックス三昧して、結果、変死させてしまったような事件に近いと思うんです。
要するに、女の身分が低いと思うと、雑な扱いになるというやつです。
今回の何が問題って、セフレを人間扱いしてないって点ですよね。
要するに自分とは身分が違う女は人間扱いしなくていいっていう。
トイレでしていた女のこと、身分が低い女と見なしてたんだと思う。
そして何が惨めって、性に身分意識が絡むケースがいちばん惨めなんですよね、とくに女は。愛人ですらないという、『源氏物語』でいえば、女房として仕えながら性の相手もする「召人」。
その召人の悲しみを描いたのも、『源氏物語』の紫式部が初めてでした。
そういうこと、私、『源氏物語』の全訳の六巻の「おわりに」で書いてます。
爺猫ポロのしっぽになにげにくっついて寝るシバ
そういえば、以前、ファミリーヒストリーという番組で渡部氏の先祖のことやってたんですが、想像以上に名門だったんです。
これはしんどいだろうなぁと思った記憶があります。
渡部さんにはカウンセリングが必要でしょうね……。
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